かつて、インタビューのつまらない質問について、このアジア雑語林で書いたことがある。つまらない質問のひとつが、「あなたにとって○○とは?」というものだった。いまから30年以上前には流行った質問だが、21世紀の今になっても、手あかがついたその手の質問を好んでいるのが、「おぎやはぎの愛車遍歴」(BS日テレ)だけだろう。番組の放送作家かディレクターが、この手の質問が大好きなんだろうな。ああ、恥ずかしい。
旅関連のインタビューでは、つまらない質問はいまも健在なんだと、ついきのう知った。「好奇心が新たな旅を引き寄せる」というタイトルのインタビューで、答えているのは天下のクラマエ師こと蔵前仁一さん。その最初の質問がこれだ。
「今まで何か国くらいを回ってらっしゃいますか?」
https://www.yaruki-lab.jp/kuramae/
聞き手は、旅行はスタンプラリーだと思っているらしい。パスポートはポイントカードだと思っているらしい。旅行国が多ければ多いほど、博識で考察力に優れた人だと思い込んでいるらしい。ある本に、「世界110か国訪問」と著者プロフィールにあれば、それは110の国に入ったということを表すだけで、旅行の内容や質はまったく表していないということが理解できないらしい。
そういうことは、蔵前さんは当然わかっているが、根が優しいので、ふんわりと、
「個人的には訪問した国数には意味を見出していないので数えたことはありませんが・・・」といなしている。インタビュアーは、蔵前発言の意味が理解できただろうか。
蔵前さんとは違って、性格が悪い私なら、こういう質問を受けたら、ちょっとカラムかもしれない。
旅行国数だけではない。旅行日数や滞在年数という数字も、数字だけの意味しかないのに、内容に優れ質も高いと思い込む人が少なからずいる。政治家は数字が質だと考えているようだが、こういう考えを「数値化の価値観」と私は呼んでいる。
ある国に3年滞在した企業駐在員が、自宅と会社周辺と居酒屋とゴルフ場くらいしか知らないという例をいくつか知っている。3年住んでいれば、誰でもその国やその都市に詳しくなるというわけではない。
近頃、自称「世界一周者」が増えているらしい。「自称」というのは、世界を一周することなどできないと私は思っているからだ。百歩譲って「地球一周」ならできるかもしれないが、彼らは「世界一周」という語を好むらしい。数多くの国を旅したという旅行者が書いた本は、深い考察に満ちているのだろうか。「行った、写真撮った」という以上の内容があるだろうか。かつて、その手の旅行者に会ったことがある。旅の話を聞いても、「女が安かった」とか「メシがひどかった」という体験を語るだけで、「それ、どういうメシ?」と聞いても、「なんだかよー。ごちゃごちゃしたメシで」と具体的ではない。
誤解の無いように書いておくが、そういう旅行者とは話をしたいとは思わないが、非難しているわけではない。旅の価値は、「ああ、楽しい。満足満足」と本人が感じていればそれでいい。他人がとやかく言うものではない。しかし、旅を語るというライターが「旅の数字=旅の質」と考えてはいけない。
日常的に、質がわからないと数字に頼るということはある。高価なものほど良質という考えだ。ワインの味が自分で判断できない者は、値段で決める。自動車を知らない者は、自動車の質を馬力や価格といった数字で判断する。住宅を知らない者は、価格で判断する。タレント東貴博が結婚して家を建てたとき、週刊誌に「都内に3億円の豪邸を建てる」と書かれた時の本人のコメントを思い出す。「都内の地価を知っていれば、3億で豪邸なんか建つわけないと、わかりそうなもんだけど・・・」。たぶん駆け出し貧乏ライター(田舎育ち)は、「3億はすごい」と数字だけで判断して原稿を書いたのだろう。坪400万円で100坪なら、土地代だけで4億円だ。税金だって、それはもう・・・。
数字は、素人を相手にするときに、内容をわかりやすくさせるが、マスコミの人間は安易に数字に頼ってはいけない。