1417話 空想・将来の仕事 「下町ロケット」は嫌だ

 

 自分が、今もし高校生で、将来の仕事を考えたとすると、どういう仕事を選ぶだろうかという空想をした。「なぜ、そんな空想を?」と問われても、「ヒマつぶしです」としか答えようがない。

 いろいろな職業を思い浮かべて、「これはどうだ」とあれこれ考えていて、ふと両親のことを思い出した。両親は、こんなバカ息子を飽きもせずに育ててくれた。さまざまに支えてくれたが、何もしてくれなかったことにも感謝しなければいけないと気がついた。

 両親は、このバカ息子の将来に対して、地図を示すこともしなかったし、医者になれ、弁護士がいい、官僚になれ、一流企業に勤めろなどとも一切言わなかった。教師でも自衛官でも、市役所の職員でも、「安定しているのがいちばん。老後の心配もない」と、平穏な生活を奨励することも一切なかった。高校生のころ、母はたった一度だけ、「ウチには財産も土地も会社も、子供に残すようなものは何もないんだから、将来は自分で考えなさい」と言ったことがある。成績不良の落ちこぼれ高校生の行動に、釘を刺したのだろう。

 父も何も言わなかったが、想像すると、息子の将来に夢があったのではないだろうか。父は建設会社の重機技術者だったから、この息子も建設会社、できれば大手ゼネコンに入り、父と同じ仕事につくことを期待していたのではないか。「ウチのバカ息子が、今年なぜか大成に入って・・・」などと同僚に自慢したかったかもしれない。大手企業ではなくても、中小の建設会社の、例え事務職であっても、息子と酒を飲みながら現場の話を肴に楽しいひと時を過ごしたかったのかもしれないが、父は何も言わなかった。両親ともに、子供の好きなようにさせた。「口もカネも出さない」という方針を貫いた。今思うと、それはありがたいことだ。

 さて、話は戻って、もし高校生だったら・・・という空想の話だ。

 これはダメだというのははっきりしている。勤め人がダメだ。公務員であれ、企業人であれ、組織で働くというのが、どうにも性に合っていない。サラリーマンといっても、教師や医師や警官や自衛官もいるから、毎日スーツを着ている者ばかりではないのだが、どうも、組織で仕事をする気になれない。だから、例え、日本一、世界一の部品を作る会社であっても、そこの社員になりたいとは思わないのだ。凡作であっても、自分一人で作って売る方がいい。それが陶磁器であれ、木工製品であれ、金属加工製品であれ、自分ひとりで作った製品を売るほうがいい。

 最近、職人の仕事を取り上げたテレビ番組を見ていると、鍛冶屋というのもいいなと思うようになった。包丁やカマやクワなど、仕事に使う道具を作る。観賞用の美術品ではなく、実用品を作る職人になりたい。丸の内や大手町の高層ビルで仕事をしている自分より、瀬戸内の林の中の小屋で何かを作っている自分の方が、はるかに魅力的に見える。

 とりあえず会社員になるしかないかもしれないが、こういうのもいいなと思ったのが、楽器の修理だ。自分が作るわけではないが、修理もおもしろそうだ。ピアノの調律というのもいいなと思った。もちろん、自分の音楽的才能は考えない。

 翻訳者や通訳を空想しなかったのは、たぶん、目に見えるモノを作りたいという欲望が強いからかもしれない。

 ライターは、高校生の自分はたぶん考えない。どうやったらライターになれるのか、わからないからだ。料理人になるなら、料理学校に行く。芸人になるなら、養成学校に行く。イラストレーターもミュジシャンも学校があるけれど、ライターはどうだ。広告コピーを書くライターや脚本家養成講座があるのは知っている。調べたら、フリーライター養成講座というのもあるようだが、そんなこところに月謝払ってもライターにはなれないことを知っているから、「将来はライター」という空想をしなかったのかもしれない。ライターは、「高卒(あるいは大卒)即戦力」という職業ではない。そこが小説家と違うところだ。いろいろなことをやった結果、その経験を生かしていつかライターになるというのがいい。