1424話 音楽雑話 第6回

 歌謡曲はいいなあ その3

 

 ウチにテレビが登場するのは1959年だった。60年代前半はまだ紅白歌合戦を見ていた時代で、当時の新旧人気歌手の歌を聞いた。戦前期から活躍してきた旧世代の歌手は、1960年代に開局した東京12チャンネル(現テレビ東京)の「懐かしの歌声」の常連出演者となっていった。その当時から歌謡史に興味があったのか、こういうナツメロ番組も時々見た。テレビ時代に間に合わなかった小畑実岡晴夫などを除けば、往時の大物歌手はたいてい見ている。

 今、この文章を書いていて、ふと思った。父は高価なテレビを買うのにだいぶ無理をしただろう。母はやりくりに苦労しただろう。しかし、その両親はあの当時、ほとんどテレビを見ていないと思う。そんな時間はなかったのだ。父はたまにプロレスを見ていた。母がテレビの前に座っていたのは、夕食のときにNHK7時のニュースを見ていたときだけだ。それ以外、たぶんテレビを見ていない。絶えず動いていて、ゆっくりテレビを見るヒマなどなかったのだ。テレビは、子供が喜ぶ顔を見たくて買ったのだろう。

 1960年代から好きだったのは、ザ・ピーナッツや西田佐知子、そしてちあきなおみ。ずっと後になってからだが、彼女のボックスセットを買って聞いたせいで、カバーしている小畑実を始め、私の知らない時代の歌謡曲を聞き始めた。パソコンで音楽を聞くことができるようになって、三橋美智也三波春夫をある程度まとめて聞いた。うまい。北原ミレイを聞いたら山崎ハコが聞きたくなった。日吉ミミもいい。青江三奈がいいと思ったことがなかったのに、数年前に彼女のジャズを聴いたら、すばらしいので驚いた。

 つい先日、ユーチューブ遊びをやっていて、再生候補リストにこの歌が出てきて、ああ、とため息。「みんな夢の中」(高田恭子、1969)。好きなのに忘れていた歌だ。昔はただ聞いていただけだから、この歌が浜口庫之助の作詞作曲とは知らなかった。

 みんな夢の中

 あの当時、都会に住んでいて、小生意気なことを言いたがる若者は、歌謡曲を軽蔑するのが常識だった。私よりひと世代上の人たちがマンガをバカにしていたように、私の世代ではロックやジャズやクラッシクを聞いているのが教養人と自負しているところがあった。私は一部の歌謡曲も好きだった。ジャズファンの友人と「北原ミレイ日吉ミミ平山みきの声がおもしろいよな」などと話していたことを思い出した。そうだ、藤圭子の登場によって、五木寛之のようにインテリが演歌を高く評価するようになっていたのだが、ロックをやっている若者の間ではやはり、「歌謡曲的だ」というのは、大衆に迎合したつまらない(が、売れる)歌だと思われていた。スパイダースの「夕陽が泣いている」は、かまやつひろしは「絶対に歌いたくなかった」と言っていた。

 ここ何年も、歌謡曲を積極的に歌っている桑田佳祐は、「昔から歌謡曲が好きだったんだけど、ロックをやっていると、素直に『好きだ』って言えなかったんだよ」とテレビ番組で話していた。

 鈴木雅之も子供のころ、アメリカの黒人音楽と同時に三橋美智也などの歌謡曲も聞いていたと話していた。

 桑田も鈴木も、ともに1956年生まれだ。この世代だと、歌謡曲の黄金時代である1960年代を体感している。どういう音楽が好きでも、歌謡曲を日常的に耳にしていた世代だ。その気になれば、歌謡曲風に歌うことができる世代だ。1960年代生まれだと、音楽のシャワーを浴びるのは80年代で、すでにアイドル歌謡と演歌の時代に入っていて、残念ながら歌謡曲のバイタリティーを同時代的には体感していない。