1960年代の豊穣 ラテン&ヨーロッパの音楽
中学生になってからということは、時代的には1960年代半ばに、トランジスターラジオから流れる音楽に耳を澄ます少年になり、それ以降今日に至るまでラジオを聞き続けている。さまざまな音楽を聞いていたが、保守本流のアメリカン・ヒットチャート物は聞いていない。ラジオから流れ出ている英米のヒットポップスは、BGMとしてしかたなく聞き流していた。R&Bとジャズは好きだから耳を傾けたが、それ以外にも心が動かされる音楽があることに気がついた。英米以外の音楽の方が、心をソワソワさせる。英米音楽一辺倒のロック少年にならなくてよかったと、つくづく思う。ちなみに、この文章を書きながら聞いているのは、ワールド・ミュージックのCDに”air mail music”というシリーズがあり、そのなかの”Le Monde des Tziganes”(ジプシーの世界)という3枚組だ。ハンガリー、ユーゴスラビア、ブルガリア、ルーマニアのジプシー音楽を集めている。
それはさておき、まずは、ブラジル音楽の話から。
フランス・ブラジル・イタリア映画「黒いオルフェ」(1959)の音楽がきっかけだろう。この映画音楽はアントニオ・カルロス・ジョビンが担当し、「カーニバルの朝」は日本のラジオでもたびたび放送された。この映画は10年ほど前に初めて見たが、フランス語版だったので、違和感が強かった。1950年代末には、ボサノバはおしゃれな音楽で。サンバは貧乏くさい古い音楽という意識が富裕層の若者にはあった。
アメリカのサックス奏者スタン・ゲッツがブラジル音楽に接近し、1962年に”Jazz Samba”を出して、ジャズファンにもブラジル音楽が広まった。ブラジル音楽が世界によりいっそう広まったのは、ジョアン・ジルベルトとスタン・ゲッツのアルバム“Getz /Gilbert”(1964)からだろう。ジョアンの妻アストラッドは歌手ではないが英語が話せるというだけの理由で「イパネマの娘」を英語とポルトガル語で歌わせ、この音程があやふやな歌声が、「ボサノバ」というジャンル名と共に世界に広がった
「おしゃれな音楽」が好きになれない私は、ボサノバには手を出さなかったが、月日が流れるにつれ、「悪くはない」に変わっていき、スタン・ゲッツやチャーリー・バードのCDも買い込むようになった。1960年代後半、若き渡辺貞夫もその波に乗り、日本のステージでブラジル音楽を演奏するようになった。
セルジオ・メンデス&ブラジル66も大流行した。流行のきっかけは、” Herb Alpert Presents: Sergio Mendes & Brasil '66”(1966)というレコードで、ビートルズの「Day Tripper」をとりあげ、70年にはアルバム「Fool on the hill」を出して大ヒットした。つまり、ブラジルの音楽はアメリカの音にアレンジされ、英米の有名な曲をブラジルの味付けにすることで、世界的ヒットになり、日本の少年の耳にまで入って来たのだ。1970年代の初め頃までは、アメリカはそういう媒介の力があった。音はアメリカ化しているが、グループ名の「ブラジル66」は、英語式のBrazilではなく、ポルトガル語のBrasilのままにしている。
あの時代、カンツォーネもあった。イタリア語で「歌」というだけの意味で、「オー・ソレ・ミオ」のような歌謡をさすのだが、1960年代のイタリアのポップスを日本では「カンツォーネ」と呼んでいた時代があった。私が知っている歌手だけでも、ジリオラ・チンクエッティー、ミルバ、ミーナ・マッツィーニ、ドメニコ・モドーニョ、ジャンニ・モランディ、ボビーソロ、カトリーヌ・スパーク、ウィルマ・ゴイクなど多数ある。そして芸人ヒロシの登場によってふたたび耳にすることになったペピーノ・ガリアルディの「ガラスの部屋」。かつてラジオから時々流れていた音楽だが、誰がこの曲と日本の芸能を結びつけたのだろう。
今でも毎週カンツォーネが流れているのが、BS日テレの「小さな村の物語り イタリア」で、番組ホームページでカンツォーネを4枚組10000円のCDBOXで発売している。
シャンソンもフランス語では、ただ「歌」という意味だが、日本ではフランスの歌謡曲をさしていた。1960年代に入ると、それまでの古臭い「歌」をはなれて、もっとポップな歌が流行した。それを日本では、「フレンチポップ」と呼んだ。カンツォーネ以上に、私が知っている歌手が多い。シルビー・バルタン、ダニエル・ビダル、フランス・ギャル、ミシェル・ポルナレフ、ジェーン・バーキン、フランスワーズ・アルディ、クレモンティーヌ、ダニエル・リカーリ、アダモ、ああ、曲と歌手名が一致する歌手はまだいるなあ。
あれは去年だったか、ラジオのスイッチを入れたら、フレンチポップの特集をやっていた。解説しているのは、フランス語訛りだが達者な日本語をしゃべるおばちゃんで、そういう音楽評論家は知らないなあと思いつつ番組を聞いていたら、そのおばちゃんはダニエル・ビダルだった。慌ててネットで経歴を調べたら、日本人と結婚して日本で生活していたことがあるとわかった。素人同然だったロザンナは別として、ヘレン・メリルのように日本滞在経験がある有名外国人ミュージシャンは意外にいる。