1427話 音楽雑話 第9回

 1960年代の豊穣 アフリカ音楽

 

 私が生まれる前に、すでに流行っている非英米音楽があった。ジャンルでいえば、タンゴやマンボやカリプソなどいくつもあった。幼い頃にはロシア民謡のブームがあったが、そういうは話に進むとどんどん長くなるので、省略する。ビートルズインド音楽という話も、ここでは触れない。

 1960年代も末になると、アフリカ音楽が日本のラジオからも流れてくるようになった。小泉文夫が放送する民族音楽ではない。ポピュラー音楽だ。

 1940年代に南アフリカで大ヒットしたEvening Birdsが歌う「Mbube」という歌があった。1960年に南アフリカの歌手ミリアム・マケバがレコーディングしている。61年にイギリスのThe Tokensが「The Lion Sleeps Tonight」のタイトルで発売し、日本でも大ヒットした。アフリカ起源の音楽が日本でヒットしたのは、これが初めてかもしれない。アフリカの歌をアフリカ人が歌ってヒットしたのは、ミリアム・マケバ(1932~2008)の「Pata Pata」だろう。南アフリカでレコーディングしたのは1959年だが、1967年に反アパルトヘイト活動により国外追放され、同年アメリカで再レコーディングされた。その歌声は、日本にも届いた。紹介する映像は、1967年のエド・サリバンショーのもの。アメリカ人のアフリカ趣味がよくわかる(日本人も同じようなものだが)。

 彼女が1964年に2度目に結婚した相手が(66年に離婚)、やはり南アフリカのトランぺッター、ヒュー・マサケラだ。彼の「Grazing in the Grass」は、1968年7月に2週にわたってビルボード第1位になっている。この曲の前の1位はハープ・アルパートの「ディス・ガイ」、次の1位はドアーズの「ハロー・アイ・ラブ・ユー」だ。そういう流れの中に、南アフリカのバンドのインストゥルメント(演奏のみ)が入っていたことに驚く。

 ラジオでこのGrazing in the Grassを聞き、ヒュー・マサケラという名は覚えたようだが、たった今、この曲を聞いてみると、まったく記憶がない。知らない曲だ。カメルーンのマヌ・ディバンゴの「Soul Makossa」は、ディスコ調ということもあり、のちにもラジオで放送されることがあり、記憶に残っている。彼は、今年、新型コロナが原因で死亡。

 1969年に聞いた「African Piano」は、私には衝撃的なピアノソロだった。南アフリカ出身のピアニスト、ダラー・ブランドの名を初めて知った。このレコードはキース・ジャレットの「ケルン・コンサート」ほどの広い注目は浴びなかったが、ちょっと違うジャズを聴きたい者の記憶に残った。

 50歳を過ぎて、再びジャズを聴きたいと思ったとき、最初に買ったのがこの「African Piano」で、以後機会を見て、かれのCDを買っている。ダラー・ブランドという芸名は、ドル札を手にして、南アフリカの港で船員からレコードを買い集めていたことに由来する。現在は、Abdullah Ibrahimと名乗っている。私が大好きなピアニストだ。

 ネットではAfrican Pianoの音は探せなかったので、African Marketplaceを。もうひとつ、Water from an Ancient Worldもいいぞ。今も、こういう音楽を聞いている。

 ちなみに、世界でもっとも売れたアフリカ音楽は、ピーター・バラカンの想像では、モリ・カンテの”Ye ke ye ke”(1984)だろうという。私も、そうだろうと思う。ある日のバンコクの飯屋で、テレビを見ながら食事をしていたら、この曲のタイ語バージョンが流れてきた。ルークトゥンという歌謡曲になり、バックダンサー付きで歌っている。そのくらい売れた。歌謡曲はたくましいのだ。

 1969年に在英アフリカ人で結成したOsibisaのデビューアルバム”Osibisa”(1971)は、私が初めて買った「アフリカ音楽」のレコードだ。このレコードに入っている”The Dawn”や”Music For Gong Gong”はしばしばラジオから流れた。”Sunshine day”(1975)は、ピーター・バラカンが、「ウィークエンド・サンシャイン」(NHKFM)の番組テーマ曲として使っている。

 1960年代後半から70年代なかばにかけて、こういう非英米音楽に親しみを感じたせいで、のちにワールド・ミュージック(世界音楽)と呼ばれるジャンルに一歩一歩進んでいったのである。ある特定ジャンルの熱狂的ファンではなかったせいで、どこの国の、どの民族の音楽でも聞いてみたいという好奇心が続いた。フォルクローレの流行の中で、アルゼンチンのギタリスト、アタウアルパ・ユパンキの演奏をラジオで何度か聞いた。同じ60年代、ギリシャナナ・ムスクーリも聞いた。もう少しすれば、ジャマイカからレゲエが流れ出す時代だった。1960~70年代は、いまよりずっと音楽的バラエティーが豊かだったのだ。