1428話 音楽雑話 第10回

 アメリカ黒人史

 

 大橋巨泉油井正一が翻訳したビリー・ホリデイの自伝『奇妙な果実』は、彼女の歌のタイトルでもある。南部には奇妙な果実のなる木がある。リンチされてつるされた黒人だと歌っている。ミリアム・マケバの経歴を再確認していたら、3度目に結婚した相手がストークリー・カーマイケルという記述があった。ああ、そうだったと思い出した。公民権運動、黒人解放運動のリーダーで、一時プラック・パンサーのリーダーでもあった。『ブラック・パワー』(長田衛訳、合同出版、1968)を読んだことを思い出した。今は音楽のことを調べているのだが、調べているうちに他のことも思い出した。

 タイ音楽のところでも書いたが、私は音楽そのものを深く掘り下げたいという欲求はほとんどない。私は特定ジャンルや歌手のマニアでも熱狂的ファンでもないのだ。今も昔もジャズやR&Bを好んで聞いているが、その方面の音楽書はほとんど読んでいない。私が知りたくなったのは、音楽の背景にあるアメリカ黒人史だった。どの本が最初かはよく覚えてないが、猿谷要の『アメリカ黒人解放史』(サイマル出版会、1968)は大きなきっかけだった。私の今までの人生で、アメリカの本をよく読んだのは、1970年代前半のこの時期だけだ。

 本多勝一の『アメリカ合州国』が出たのは1970年、吉田ルイ子の『ハーレムの熱い日々』は1972年だった。そのころ、普段は小説を読まないのに、リチャード・ライト、チェスター・ハイムス、ラルフ・エリスンなど黒人作家たちの本を読んだものの、今でも心に残っているのは小説ではなく、いや「自伝的小説」と言えばいいのか、ラングストン・ヒューズの自伝三部作(河出書房新社)だ。第2次大戦直前に日本に来たヒューズは、英語の新聞で日本人の朝鮮人差別のことを知る。「差別は肌の色で起こると思っていたが、外見上区別がつかない者どうしでも差別があると知った」という記述は今も覚えている。

 私は買った本を台帳につけている。日記替わりにもなり、のちにライターになって本の話を書くときに、その本が手元になくても本のデータがわかるから便利だ。その図書購入台帳を取り出すと、1973年12月28日に買った本が4冊あることがわかる。

 ストークリー・カーマイケルの『ブラック・パワー』とビリー・ホリデイの『奇妙な果実』は同じ日に買っている。このことはもちろん覚えていないが、買ったのは神保町の古本屋だ。この日はほかに2冊、『世界の街』(小林泰彦)と『マルカムX自伝』(河出書房新社)を買っている。年が明けて、1974年になって、やはり神保町で買った本のリストを書いておく。

『ブラック・ボーイ』(リチャード・ライト

アメリカ黒人の歴史』(本田創造)

『白人よ聞け』(リチャード・ライト

『ハーレムUSA』(J.H.クラーク)

『アンクル・トムの子供たち』(リチャード。ライト)

『ジャズの本』(ラングストン・ヒューズ)

『次は火だ』(ジェームス・ボールドウィン

『私のように黒い夜』(J.H.グリフィン)

『ブラック・パンサー』(ジーン・マリーン)

 キリがないのでこれくらいにしておくが、当時この何倍もの資料を読んでいた。アジアの本ではインド関連書をちょっと読んだくらいだ。アジアのおもしろい本はまだそれほど出ていなかったのだ。70年代後半は、東南アジア文学と、西江雅之川田順造らのアフリカ本を読んだ。たった今、西江さんの早稲田大学英文科の卒業論文が、リチャード・ライトだったと知った。

 のちに、「こういうことになろうとは・・・」と驚いたことがふたつある。ひとつは、マルカムXだ。アメリカ現代史の研究者にとっては有名人ではあるが、その当時日本ではそれほどの知名度はなかったのに、スパイク・リーが1992年に映画化したことで、ブームのようになった。1970年代に彼の演説集など翻訳されているものはすべて読んでいた私としては、”Malcolm X”と印刷したTシャツやキャップを日本の若者が得意げに身につけている光景に、「まあ、これは、どうしたわけだ?」といぶかしかった。

 ちなみに、河出書房新社版の『マルカムX自伝』の発売は1968年だが、10年ほどあとにこの本の著者アレックス・ヘイリーの名を日本人はまた出会うことになる。1977年に日本でも放送されたテレビドラマ「ルーツ」の作家だ。

 マルカムXよりもはるかに知名度は低く、日本人では研究者以外は多分知らなかったと思われるマーカス・ガーベイ(1887~1940)の名も、のちに日本の音楽雑誌で目にすることになった。

 ジャマイカの印刷工だった。社内で労働運動が起きたとき、リーダーに祭り上げられ組合運動を始めたのだが、組合員たちが次々と会社側に寝返り、ひとり浮いてしまい、解雇される。しかたなくジャマイカを脱出して、しばらくのちにアメリカで「黒人はアフリカに帰ろう」という運動を始め、帰還船を仕立てて、金儲けをする。アメリカは白人の場所だから、黒人は故郷のアフリカに帰ろう。故郷はエチオピアにあるという思想は、のちのラスタファリズムとつながり、音楽ではレゲエで表現されることになる。

 ガーベイは、自分が皇帝になりたがったような人物で、おもしろそうなので資料を探したが、わずかに論文などがあるだけで、グーグルもアマゾンなどない時代、英語の資料を探すほどの気力はなく、そのままになった。今、アマゾンで調べると、実に多くの参考書が出版されているが、日本語のものはないようだ。

 のちに、こういうことになろうとは・・・という話をもうひとつ思い出した。その話はこのアジア雑語林の290話にすでに書いた。

 ちなみに、この文章を書いているときのBGMは、懐かしの音楽シリーズ”NOT NEW MUSIC”のなかの2枚組”electric blues”。