1431話 音楽雑話 第13回

 私の好きな日本の歌 その1

 

 目と神経が疲れていて、本を読む気になれない電車のなかで、退屈しのぎに「好きな日本の歌 ベスト5」などということを考えたことがある。順位をつけるのは無理だとわかり、しかもたった5曲では選べないとわかり、「トップ10」として選考に入る。こういうことをやっていると30分くらいは簡単に過ぎる。友人の音楽評論家松村洋さんとこのテーマで雑談をすると、相手は専門家だから話は盛り上がる。ひとりで遊んでいるときでも、「歌手、作曲家はひとりにしよう」と枠を作ったり、作曲が同じ人でも、歌手が違えばいい事にしよう」などと選定基準を変えて何度も空想の選定をする。

 選定の結果は日によって違う。明日やれば、また別のリストができるが、きょうのリストはこうなった。順位はつけられないから、発売順ということにしよう。

 私が好きな日本の歌10選・・・の予定だったが、候補作品が次々に増えて、20作を軽く超えてしまった。

 

船頭可愛や(1935)・・・当時、芸者が歌手になる例が多く、この音丸も芸者かと思われたようだが、レコード店の店員だったので、「丸い音」というシャレの芸名である。

蘇州夜曲(1940)・・・作詞:西条八十、作曲服部良一。映画「支那の夜」で李香蘭が歌ったが、レコードに吹き込んだのは渡辺はま子霧島昇。私はこの曲は好きだが、どちらの歌も好きになれない。演奏だけでもいい。カバーをいろいろ聞いて、どれも悪くないが、自然な感じのアン・サリーがなかなかよかった。

胸の振り子(1947)・・・作詞:サトウ・ハチロー、作曲:服部良一霧島昇の歌い方(ビング・クロスビーのように、甘く歌うこの歌唱法をクルーナーという。だから石原裕次郎が歌いたがった)は好きではないので、いろいろカバーを聞いたが、歴史的音源ということで、オリジナル盤の音をあげておく。ハワイアンの音が入る。1947年です。これ。服部作品だけで、10曲選ができる。

星影の小径(1950)・・・小畑実霧島昇のようなクルーナーなので、好みではない。ベストカバーはちあきなおみに決まっていて、そうなると次の「星影のビギン」もなんでも、ちあきなおみのカバーが最高だから、ここではUAの歌で紹介する。

黄昏のビギン(1959)・・・水原弘の歌で発売。ちあきなおみのカバーバージョンが完成度でも発売数でも最高だと思う。今回選んだのは歌手の魅力よりも、動画のピアニストを見て、びっくりした。sumireの後ろでピアノを弾いているのは、かのセルジオ・メンデス。「すげえ!」とわかる人が、どれだけいるか。

カスバの女(1955)・・・オリジナルはエト邦枝だが、ここでは藤圭子のカバーで。藤圭子の歌声は迫力があるが、オリジナル作品に心を動かされるものがない。「アルジェリヤ」「カスバ」という単語が出てくるこの歌は、1939年に公開されたフランス映画「望郷」(原題ペペ・ル・モコ。39年のキネマ旬報ベスト1の映画)のイメージで作られた歌だから、都会に住む日本人には、「わけのわからない歌」ではなかった。

アカシアの雨がやむとき(1962)・・・10歳のガキが、西田佐知子のこの歌が好きだった。ほかにも「コーヒールンバ」、「涙のかわくまで」など、好きな歌が多いものの、レコードもCDも買ったことはない。youtubeでたいてい聞くことができるからだ。今回ディスコグラフィーをチェックしたら、「ガンジス河の月」(作詞:水木かおる、作編曲:ラジンダ・クリシャン・早川博一)という歌を見つけた。どんな歌か聞いてみたかったが、ネットに情報がない。作曲者がインド人風だから、もしかするとインドの歌に日本語詞をつけたのかもしれない。たぶん、松岡環師なら、とっくにご存知でしょう。

ホンダラ行進曲(1963)・・・クレージーキャッツに、青島幸男萩原哲晶が組んで数々の名作を生みだした。今回、ナンセンスきわまりない「ホンダラ行進曲」か、それとも沖縄方言で言う「なんくるないさあ」(なんてことないよ)と堂々と宣言している「だまって俺について来い」にしようか考えたが、理由なく「ホンダラ行進曲」にした。新コロナの重い空気の中、ラジオでこの歌が何回か流れた。こういう歌を信奉していなけりゃ、フリーライターなんて怖くてできないぜ。役者だって、ラーメン屋だって、組織に頼らないで生きておこうと決めた者たちの愛唱歌だ。

長くなったので、続きは次回に。