1435話 『プラハ巡覧記 風がハープを奏でるように』出版記念号 

 なんだか、遠い昔のようなことと、ちょっと前のこと その2

 

 2009年12月、その年最後の本の買い出しに神保町に出かけて何冊か買ったあと、いつものようにアジア文庫に立ち寄った。「アジア雑語林」は毎週きちんと更新されていたので、大野さんはなんとか仕事ができているのだと思っていたが、店に大野さんの姿はなかった。店番をしていたのは奥さんの父親だという人物で、大野さんは入院したという話を聞いた。

 数日後、大野さんからメールが届いた。「店に来てくださったそうですね」という書き出しで始まる文章だった。「アジア雑語林」の更新は奥さんが代わってやってくれていたこと。大野さんの病気は「原発不明ガン」という聞きなれないもので、築地のがんセンターに入院しているという内容だった。聞きなれない「原発不明ガン」を調べた。ガンであることは明らかだが、どこがガン細胞に侵されているのかがわからない病気で、望みが少ないとわかった。

 すぐさま、めこんの桑原さんに連絡を取り、見舞いに行こうということになったが、大野さんの体調の変化が激しく、築地まで行ったものの、「体調がひどく悪い」という連絡が奥さんからあり、見舞いは中止になった。次に奥さんから「病院に行ってもいいかもしれない」と指定されたのが、12月24日だった。桑原さんとふたりで見舞いに行き、3人でしばらく雑談をした。その日は比較的体調がよく、普通に話ができたが、体力的にはそうとう弱っているようだった。隣りのベッドにいた患者は、高校生くらいの少年で、病のあわれを感じた。

 「じゃあ、これで」と立ち上がると、大野さんはベッドから立ち上がろうとするので、「いいですよ、ここでお別れしましょう」と言ったが、「いや、エレベーターのところまで・・・」と弱々しく言い、歩き出した。3人でちょっと歩き、大野さんは我々ふたりに手を挙げ、微笑み、別れた。

 桑原さんと有楽町駅まで歩くことにした。この時間を、電車に乗ってひとりで過ごす気にはなれなかった。クリスマスの飾りが輝く銀座が、よけいにわびしかった。

 2010年が明けてすぐ、桑原さんから、「今、奥さんから電話があって、大野さんがついさっき・・・」という電話があった。「近頃、体調が悪い」という話を聞いてから、わずか2か月ちょっとだった。つい最近、ラジオで、原発不明ガンの治療に効果が認められる薬ができたというニュースを耳にした。「効果は2割の患者」というのだが、ラジオを聞きながら、また大野さんのことを思い出した。「命あるうちに旅をしよう」と強く思ったのは、大野さんの死以後だ。

 「アジア雑語林」は、2009年12月6日の275話で終わった。

 アジア文庫は店主を失い、したがってホームページの管理人も失い、「アジア雑語林」も止まった。デジタルのことだから、今後どうするかといったアイデアはなく、保存のしかたも知らず、消えても仕方がないなと思っていた。

 大野さんが病気にならなくても、アジア文庫の将来は決して明るくはなかった。本が売れない時代に入ってしまったからだ。大野さんとよく話していたのだが、日本人が今ほどアジアに行かず、アジアの本が今ほど多くなかった1980年代、アジアの本はよく売れた。井村文化事業社が発行する東南アジア文学シリーズがある程度は売れた。タイの小説は増刷されたものが何点もある。定価2万8000円の『タイ日辞典』が、2800円の本のようによく売れた時代だった。タイを例にすれば、タイに行く日本人が少なかった時代よりも、多くなった時代の方がかえって本は売れなくなったのだ。増加した旅行者は、写真満載のガイド以外手にしなくなったのだ。タイがどういう国だって、いいのだ。旅行先がどういう歴史や文化がある国なのかなどまったく気にならないという点では、企業駐在員やビーチリゾートや酒池肉林の客と同じなのだ。タイで働く日本人が増えたということは、「タイに行きたくて来たわけじゃない。興味なんかないよ」という日本人が増えたということだ。だから、実用ガイド以外売れない時代になり、そういう印刷物もデジタル情報に置き換えられる時代に進んでいた。