1437話 『プラハ巡覧記 風がハープを奏でるように』出版記念号 

 なんだか、遠い昔のようなことと、ちょっと前のこと その4

 

 前回、『アジア文庫から』の話を書いた。まだ在庫があるかどうかめこんに問い合わせていて、思い出したことがある。めこんの最新刊は『動きだした時計 ベトナム残留日本兵とその家族』(小松みゆき)なのだが、小松さんの最初の本『越後のbaちゃんベトナムへ行く』(2007年。2015年に『ベトナムの風に吹かれて』に改題して文庫に)を、大野さんは高く評価していて、私に勧めたことを思い出したのだ。日本でひとり暮らしをしている母が認知症になって、ハノイ日本語教師をしている娘が母をベトナムに呼んでいっしょに暮らすようになるというノンフィクションだ。アジア文庫店主のお勧めだったが、「まあ、いいか」と後回しにしていた。その本を読んだのはずっと後になって、2015年にハノイ旅行の資料として読んだ。映画「ベトナムの風に吹かれて」(2015)の原作にもなったこの本を、大野さんが気にいったのは、店に出版のあいさつに来た小松さんの人柄によるものもあったのだろうが、大野さん自身、大分でひとり暮らしをしていた母が認知症になり、母の面倒を見ていた弟がガンになり、母を東京に引き取ろうとしていた頃だったから、共感することが多かったのだろう。そういういきさつは、大野さんが亡くなる直前に知った。

 アジア文庫のパーティーをやったのが2010年5月だった。葬式本の制作費込みのパーティー代だから高額になったにもかかわらず、多くの人が来てくれたので、赤字にならずに済んだ。

 そして、6月か7月ごろだったか、はっきりした記憶がないのだが、旅行人の蔵前さんが「もしよければ、ウチのホームページでアジア文庫のコラムを継続しませんか」と声をかけてくれた。アジア文庫の「アジア雑語林」を、旅行人のホームページの店子として復活継続しませんかという厚意を喜んで受けた。ただし、移管作業など、私には到底できないので、旅行人の元編集者である田中元さんがすべてぬかりなくやってくれた。おかげで、アジア雑語林の1話からすべて保存された。その後、ブログの仕様に大きな変化があったり文字化けというトラブルもあったが、すべてうまく処理してくれた。彼は今も、アジア雑語林専属の無給保安員をやってくれている。ありがたいことだ。

 蔵前さんのひとことから旅行人版のアジア雑語林が再開し、276話(2010年8月19日付け)から今回の1437話まで続いたということだ。

 「しょっちゅう更新しようとするとつらくなるから、まあ、気楽に」と大家の蔵前さんが言うから、「同じ店子の田中真知さんよりは、多い頻度で更新するつもりだけど・・・」と答えると、すかさず「あんな人と比べたらダメだよ」。真知さんは、旅行人では名うての遅筆堂ライターらしいと、そのとき初めて知った。

 アジア雑語林は、初めから身辺雑記を書く気はなかった。私ごときが「これが自慢の健康朝食」という写真と短文を載せても、誰も読まない。だから、少しでも資料になるような文章を書こうと思った。それは、世のため人のためという高尚な目的からではなく、「調べるとおもしろい」からであり、自分用の読書や思考のメモである。ここに書いておけば、あとでブログ内検索をして、自分の文章を発掘できる。あの話、どの本に書いてあったかなあというとき、ブログ内検索をすればわかることがある。

 旅行記でも言えることだが、卓越した文章力のある人なら、立ち食いそばを食べたというだけのことを、感動の文章にすることも抱腹絶倒の文章にすることもできる。開高健東海林さだおなどが、その例だ。そういうたぐいまれなる筆力のない者は、並外れた行動をしてびっくりさせるか、有用な情報を提供するか、コツコツ調べて新鮮な情報を書くしかない。

 週に1回くらい更新しようと思っていたが、毎週原稿を書くようにすると散漫になりがちで構成が悪くなるので、何回分かをまとめて書くようになった。書いているうちに長くなることが少なくないから、2回か3回に分けることがよくある。スマホで読む人のことを考えれば、SNSのように、1回分の文章は短ければ短いほどいいのかもしれないが、ツイッターの短文では、出典を明記して論理的に書くということはできないので、いまだに時代遅れのブログにしている。1回を1000字程度にしたいとは思うが、どうしても長くなり1500~2000字くらいになってしまう。

 ブログの欠点でもあり長所でもあるのは、文章の長さを気にしなくてもいいということだ。書きたければ、どんなに長くなっても差し支えない。印刷物なら「1000字程度」と決められたら、プロはそれに合わせなければいけない。だから、文章の無駄を省き、磨く必要がある。ブログだと、饒舌になりすぎて、だらだらと長くなってしまう・・・というのは中高年のサガか。若者だと、そもそも長い文章は書かない(書けない)。