1438話 『プラハ巡覧記 風がハープを奏でるように』出版記念号

 なんだか、遠い昔のようなことと、ちょっと前のこと その5

 

 本の話と雑談が、アジア雑語林の基本だったのだが、2013年の旅行記「台湾・餃の国紀行」以後、旅行記を中心としたブログになっている。そうしようと意図したのではない。母が死んで介護の必要がなくなったので、長い旅行ができるようになり、旅行が長くなれば旅行記も長くなっていったというわけだ。資料を読んで書くので、旅行記がますます長くなった。ブログが書評から旅物語に変わっていったのには、もうひとつ理由がある。ブログで取り上げたくなる本がなかなか見つからないからでもある。

 20代前半の、旅を始めたころは旅日記のようなものを書いていたが、すぐに書かなくなった。めんどうだったからだ。講談社文庫に入っている旅行エッセイは、すべて記憶で書いている。忘れてしまったことは、たいして重要ではないことだ。長い年月が流れても、それでも覚えていることが重要なことだと思っていた。だから、覚えているエピソードを書いただけだ。

 ここ10年ほど、旅日記を書くようになったのは、知りたいことのテーマがはっきりしてきて、より深く掘り下げたくなったからだ。食文化、建築、音楽、路上、交通、映画など関心分野がある程度決まってきた。帰国してから充分に調べるために、疑問点などを書いておく必要がある。

 私の旅行記の書き方はこうだ。

 旅行中に、見聞きしたことや考えたことなどを書いていく。「日記」と書いたが、実際は日々書く取材ノートのようなもので、他人には読まれたくない個人的な思いや反省などが書いてある「日記」ではない。随想も思索もほとんどしないから、抽象論も哲学もない。たんなる取材メモだが、書いているうちに長くなる。メモを書いていくと好奇心が刺激され、あれもこれも書いておこうとする。帰国してから深く調べるための、自分への宿題も書いておく。

 自分の関心分野はあまり広くないので、毎日ノートにメモを書いていても支離滅裂にはならず、しだいに目次のようなものが頭の中できていく。旅行中に、どういうテーマなら書けそうかとか、書くにはどういう取材が必要かなどと考えている。雑誌などから依頼されたわけでもないのに、「これは、おもしろい」という柱ができていくのである。取材旅行ではなく、完全に自費の自由旅行なのだが、調べている旅が楽しいのだ。

 取材ノートは、文字通りノートに手書きする。普段、日本では文章はもっぱらパソコンで書くようになり、手紙も手書きをすることは少なくなった。そのせいで、元々ひどく下手だった書き文字がますますひどくなり、ペンを持つと手が震えるようになった。力の入れ方が変になったからだろう。字が下手で、しかも漢字をかなり忘れている。パソコンの原稿なら、あとでいくらでも訂正できるから、考えがまとまらないうちに、とりあえず、書く。そういう悪癖を少しでも直したいと思うので、旅行中は手書きを続けた。ノートパソコンは持っていない。重く、壊れやすい電子機器を持ち歩きたくない。

 数年前から、筆記具を万年筆に代えた。すぐ消せるフリクションペンは、書き味が悪いのだ。まったく偶然なのだが、使い捨て万年筆1本かスペアインク1本がノート1冊分に相当し、1冊書くと、インクも旅も終わる。コーヒーを飲みながら、旅のあれこれを思い出すままに万年筆で書いていくのは、指と頭のリハビリである。カネはなくても時間はあるのだから、せめて1日に1時間くらいは、ノートに向かい、その日受け取ったレシートを読み、映画の入場券も一緒にノートに貼り付け、説明や疑問を書いていく。

 旅先で書きたいことがいくらでもあるということは、じつに幸せなことだ。