1440話 『プラハ巡覧記 風がハープを奏でるように』出版記念号 

 なんだか、遠い昔のようなことと、ちょっと前のこと その7

 

 2019年12月25日に、産業編集センターの佐々木さんから、「アジア雑語林のプラハ旅行の話を本にしたいのですが、いかがでしょうか」というメールをもらい、翌2020年1月10日の午後、神田神保町のタンゴ喫茶ミロンガ・ヌオーバで佐々木さんに会った。夕方からアジアの勉強会があるので、その前の打ち合わせだった。考えてみれば、その次に神保町に行ったのは2月9日で、今のところ電車に乗ったのもそれが最後になっている。2月9日は、CD選びに時間がかかり、古本探しは時間切れになったから、神保町で本を買ったのは1月10日が最後なのだが、遠い昔のことのように思える。そういえば、書店で本を買ったのも、今のところそれが最後だ。

 出版の企画をありがたくお受けすると、編集者に返事した。アジア雑語林の「プラハ 風がハープを奏でるように」の文章は1冊にするには長すぎるので、大幅にカットしなければいけないという。原稿の取捨選択は全面的に編集者にお任せすることにした。著者が編集すると、「これは捨てたくない」という希望が増えて、なかなか捨てられなくなる一方、「これは、削除してもいいか」と腹をくくると、「残す価値がある文章などあるだろうか」と考え始めて、本にするような文章などないように思えてくる。だから、取捨選択は他人まかせにしたほうがいい。

 しばらくして、ゲラ見本のようなものが届いた。雑誌などの連載だと、印刷物をデジタル化する手間がかかるのだが、ブログ「アジア雑語林」はデジタル原稿だから、完成した本のレイアウトに合わせて原稿を流し込むことなど朝飯前だ(私にはできない技術だが)。その見本原稿の試作品のようなもの(校正刷りという)を、出版業界ではゲラという。そのゲラの前の段階だから、とりあえず「ゲラ見本」と書いた。

 編集者の手で、すでに取捨選択がなされ、原稿は元の3分の2ほどになっている。それをもとに、「写真も入るので、なお一層、減らす方向で構成を考えてください」ということで、著者である私が覚悟を決めてさらにバッサリと切り捨てると同時に、「でもなあ・・・」と敗者復活させる原稿もあった。加筆するのは簡単だが、切るのはつらい。だから、ひと工夫して、本文を写真説明にするとか、編集者と相談して、いろいろ工夫した。

 そういう作業を始めるころには、新型コロナの影響が深刻になり、「どうも、しばらくは旅行に行けそうもないな」という予感があり、今年の春はこの本に関わることで、著者も編集者も自宅蟄居の時間を過ごした。

 ブログというのは、編集者も校正者もいない文章なので、誤記、誤字、脱字がいくらでもある。それがわかっているから、公開するまで何度も見返しているのだが、やはり誤記はある。書き手の校正は、文章の内容ばかり気にするせいで、誤字に気がつかないことが多い。校閲者の仕事は表には出ないが、非常に重要な仕事だ。

 校閲に関して感動的だったのは、『旅行記で巡る世界』(文春新書)を担当してくれたおふたりの校閲者の仕事ぶりだった。あの新書は実に多くの本が登場し、引用も多い。そのすべての原典にあたって、引用部分がどこにあるか調べ、正しく引用されているかどうかチェックしている。入手困難な資料もあるのだが、どこかで探して、「原文はこうです」と、引用した文章の誤記を指摘してくれた。文章そのものチェックは編集者がやってくれるが、内容まで踏み込んで調べてくれる校閲者の、見事な仕事であった。だから、感謝の意を込めて「あとがき」に校閲者のお名前を紹介した。出版業界では、経費節約のために、そういう有能な校閲者が活躍できる仕事は減っているらしい。

 校閲といえば、石原さとみ主演の「地味にすごい!校閲ガール」というドラマがあったが、出版業界を知らない人に書いておくと、あれはドラマの世界であって、ほとんど現実離れをしている(刑事ドラマも医者ドラマも同様だが・・・)。ついでに書いておくと、あのドラマに「あの雑誌、ついに廃刊になった」といったセリフがあったが、これは「休刊」が正しい。商店の「休業」と「廃業」の違いのようなものか。刊行をやめても復刊することもあるから、休刊なのだ。

 もうひとつついでに書いておくと、ラジオで「あの本、もうハイバンになって・・・」と言っている人がいた。廃盤ならレコード、廃番だと靴や衣料品などさまざまな製品。本の場合は、品切れの場合は「品切れ、重版未定」という。種々の事情で、「もう重版はしない」と決定した場合は、「絶版」という。