1441話 『プラハ巡覧記 風がハープを奏でるように』出版記念号 

 なんだか、遠い昔のようなことと、ちょっと前のこと その8

 

 ブログであれ雑誌連載であれ、何度も同じ話を書かなければいけないことがある。例えば、連載第4回で「プラハの春」の説明をていねいにやっておけば、あとは説明なしでいつでも「プラハの春の時・・・」と書いてもいいかというと、そうはいかない。読者は何度にもわけで読むわけだし、1度中断して10日後にまた読み始めるということもあるから、わかりにくい話は、折を見てなんどか書いておく必要がある。

 ブログの場合は、たまたまその日に初めて読んだという人もいるから、なるべくわかりやすく書こうとすると、説明がくどくなる。最初からきちんと読んでいる人には、「また、その話かよ・・・」となるだろうが、それは仕方がないとあきらめて、あえてしつこく書くことにした。

 ブログを単行本化するにあたり、このくどい説明をどうしようかと考えたが、単行本でも一気に最後まで読む人は多くないだろうから、やはりあえて簡素化しないことにした。

 単行本化でもっとも考えたのは、リンクだ。ブログでリンクを貼れば、地図でも映画の予告編でもユーチューブ動画でも簡単に紹介できる。「この歌」と書いてリンクを貼れば、読者はインターネットの音楽を誰でも聞くことができるのだが、単行本では難しい。紙面にURLを書いておくこともできるのだが、そのURLを自分のパソコンで調べる人がどれだけあるだろうかと考えると、「ほぼ、いない」という結論に達した。

 チェコ映画の話を書いた。もし、もっと詳しく知りたいと思う人は、その映画の情報を探すだろう。すると、予告編があることをしるかもしれない。あるいは、その映画がまるまるネットで公開されていることもある。知りたければ、情報はいくらでも自分で探せる。知りたいという好奇心のない人なら、紙面でいくらURLを紹介しても、調べないだろうという結論に達して、ブログに載せたおびただしいリンクはすべて削除した。

 このアジア雑語林の1437話で、ブログの文章は印刷物と違って、いくらでも長くできるのが特徴だと書いた。文章だけでなく、写真も好きなだけ使える。だから、同じような写真が延々と続くインスタグラムのようなブログが少なくない。文章に磨きをかけないように、写真の選択にも注意を払っていないのだ。

 我がブログでも写真をかなり載せたが、単行本ではほとんど載せられなかった。写真集ではないからいたしかたないのだが、産業編集センターの「わたしの旅ブックス」の中では、編集者の努力によるものだと思うが、私の本にはカラーページもあり、写真がかなり多い。

 プラハ旅行記を校正しながら、写真について考えた。写真1枚がどれほど長い文章よりも如実に事実を語るという例はいくらでもある。外国料理は写真なしに読者に理解させようというのは無理だ。建築も、そうだ。だから写真の効用は充分にわかった上ではっきり言うが、インスタグラムの盛隆は、送り手が言語による説明を放棄した結果ではないかと思う。プラハで食べた料理を文章で説明するとなると、料理の名前や材料や料理法を調べて文章表現しないといけないのだが、数多くの写真に「こんなのを食べました」という文章を添えれば「ブログは出来上がり」にしてしまった。「見ればわかる」ような感じになるが、材料などの解説がなければ、じつはその料理はわからない。人差し指1本しか使っていないブログは、底が浅い。

 写真は諸刃の剣だ。