1442話 『プラハ巡覧記 風がハープを奏でるように』出版記念号

 なんだか、遠い昔のようなことと、ちょっと前のこと その9

  

 「売れる本の書き方を、教えてよ」と天下のクラマエ師に言うと、「フン」と鼻でせせら笑い、「そんな本を書く気もないくせに」。

 書く気がないわけではない。売れる本の書き方がわからないし、たぶん書く能力もないようだ。

 本は売れた方がいいに決まっている。しかし、収入が増えるというのはたいしたことではない。カネに執着していないというわけではもちろんなく、元々大した収入にならないのだ。ベストセラーのマンガのように売れるならともかく、旅行書など「売れた」といっても草野球レベルなのだ。旅行費用を取り戻そうなどとはハナから考えていないが、資料購入代金を考えると、初版印税など大して残らない。

 だから、「売れた方がいい」というのは、当然カネは欲しいが、それよりも次の本が出せる可能性が高くなることの方が大きい。出版社が、「もう一冊出してもいいか」と思えるほどの売り上げは、著者にとっても編集者にとっても欲しいのである。

 売れる本の書き方を、まったく知らないわけではない。「行った、撮った」というようなインスタ本はたぶんそれほど売れてはいないだろうが、私の自撮り写真をちりばめても売れるわけはない。カラー写真満載の詳細ガイドは売れていると思う。そういう本の取材のしかたもわかるが、そんな苦労はしたくない。早朝から深夜まで細かくスケジュールを立てて、正確に取材をこなしていくのは、私だけではなく、あんなあわただしい取材に耐えられる男はそうはいないと思う。菓子でも雑貨でも、店で取材するだけでなく、大量に買い集めた商品を毎日ホテルで撮影するというような手間は、男のライターにはとても務まらない。だから、その手のカラー写真&イラスト満載本の書き手は、ほとんど女だ。彼女たちには、それが楽しい旅行なのかもしれないが、私にはできない。

 私は取材をしたいのではなく、旅をしたいのだ。スケジュールを決め、商店やレストランに取材の予約を入れて・・・などという行為は、絶対にしたくない。

 自己啓発本型の旅行書が売れているらしいが、宗教書のようなこの手の本は、書き方がわからない。旅行で自分を探したい人の手助けとなる本など、私にはとても書けない。「好きなように旅すればいいじゃない。旅が人生を教えてくれるなんて、旅を過大評価しないほうがいい」と思う私には、旅の教義書など書けない。「旅の達人が教える指南書」といった本など、他人に教えるほどの旅の技術も知識もない私にはとうてい書けない。

 「バカ話」本を書く筆力はない。辺境・冒険・探検モノは、そもそもそういう土地に行く気がない。本を書くために命を懸ける気などまったくない。人が住んでいない場所に行く気はない。つらいのは、いやだ。疲れる旅はしたくない。軽い文体を駆使して、1時間で読み終える本を書く才能はない。そういう書き手はいくらでもいるから、私がマネをすることもないかと考えると(実はマネできないのだが)、売れる本からますます遠ざかる。

 売れる本を書くためには、心を入れ替えて、柿田川の清流のような心で、誰からも好かれる文章を書きなさいという人がいるかもしれないが、私が「いい人キャラ」で文章を書いても(書けるわけはないが)、それで売れ行きが上がるとは思えない。

 不本意な文章を書いても売れないだろう。だから、どうせ売れないなら、ブログで好きなことを好きなように書いているほうが楽しいと思うようになった。

 そうやって、280万字ほどの文章を書いてきて、やっと「本にしませんか」と声をかけてくれる編集者が現れた。こういう奇特な編集者の厚意に報いるには、次の1冊をその編集者が企画したとき、「あいつの企画じゃなあ・・・」と社内で笑われない程度には売れてほしいと思うのである。