1443話 『プラハ巡覧記 風がハープを奏でるように』出版記念号 

 なんだか、遠い昔のようなことと、ちょっと前のこと その10(最終回)

 

 ここ数年のアジア雑語林を読んだ何人かが、「あの前川が、ヨーロッパの旅行記をねえ・・・」と言った。「アジアの路上で、安飯を貪り食っているのがお似合いのお前が、ヨーロッパかよ」という驚き、あるいは嘲笑だろう。「アジア雑語林」というタイトルで、なぜヨーロッパの話を・・・という違和感もあったようだ。

 私がヨーロッパを旅したと言っても、パリのカフェテラスで、古本屋で買ったアポリネールデスノスの詩を読んだ後、画廊と骨董店巡りをしているわけではない。イビサのリゾートホテルで、酒とバラの日々を送っているわけでもない。ただ街をぶらついているだけだから、旅のスタイルはアジアでの日々と変わっていない。

 ここ何年か、ヨーロッパに行くことが多くなった理由はいくつもある。じつは、昔からいちばん行きたいのはブラジルなのだが、渡航費が高いうえに、気ままな旅をするには危険すぎる。ツアーに参加して観光地巡りならできるだろうが、昼も夜も、ふらふらとどこへでも歩きたくなるタチの私には、ブラジルの大都市は危険らしい。危ない地域の旅は、したくない。

 旅を企画する際、航空運賃の問題は大きい。その点、ヨーロッパ便はきわめて安くなっているのだ。安くて良質のエティハド航空カタール航空などのほか、中国や韓国の航空会社も参入し競争が激化しているので、運賃はいつも低く抑えられている。インド亜大陸に行くよりも、ヨーロッパ便の方が安いのは常識だ。

 ヨーロッパ便に比べて、アメリカ大陸便は高い。アフリカは、モロッコは安いが、総じて高く、しかもナイロビなど治安の問題が大きい。

 例え航空運賃が安くても、ヨーロッパは滞在費が高いよなという指摘はあるだろう。北欧やスイス、アイスランドなどは本当にバカ高いらしい(体験していないので、その苦しさを実際には知らないが)。しかし、ヨーロッパといっても旧東欧諸国の物価は安いのだ。大胆に言えば、フランスやイギリスの半額以下だろう。バンコクの安ホテルは1000バーツ(3300円)前後が相場だが、例えばワルシャワのゲストハウスのドミトリーなら1泊1000円台だ。食費も安いから、ヨーロッパに行ったからと言って金持ち旅行というわけではないのだ。その点、高額の北米旅行とは異なる。私の旅のスタイルは、どこに行ってもただ街を散歩しているだけだから、「楽をしたくて、ヨーロッパに行った」というわけでもない。

おまけ話 プラハで、「ベルリンには安い宿はあまりなくてね」とベルリン在住の大学生が言っていたが、数少ない安宿のひとつがCity Hostel Berlin。北朝鮮大使館敷地内にあり、大使館所有の安宿(経営はトルコ企業)だ。時期にもよるが、2000円程度で泊まれる宿だったが、新型コロナの影響で、つい最近閉鎖した。

 プラハを旅した後、ヨーロッパ現代史をちょっとおさらいした。そのおかげで、バルト三国ポーランドを旅した時、歴史がよくわかった。ドイツVSソビエトの勢力争いに巻きこまれた悲劇の歴史や、中世から続きドイツ人移民の物語などがよくわかるのだ。

 ヨーロッパを旅しようと思った理由のひとつは、そこだ。いままで、おもにアジアに関わってきたので、ヨーロッパの諸事情に疎い。まずは、スペインに行き、カタロニアやバスクの勉強をした。ポルトガル独裁政権時代の勉強も少しした。スペイン人やポルトガル人が誇りにしている大航海時代のことなど、私にはどうでもいい。まずは現代史を調べ、そして近代史へとさかのぼるのだ。まるで興味のない考古学や古代史から歴史の勉強を始めても退屈なだけだ。

 そういう勉強をしていくと、スペインのフランコ独裁政権が外貨稼ぎのために、1960年代に観光立国を目指し、アンダルシアの乾燥地と照り付ける太陽、闘牛、フラメンコ、トマトとオリーブオイルの料理といったものを、「これが、太陽と情熱の国スペイン」と売り出した経緯がわかる。外国人にヨーロッパとは思えないエキゾティシズムを感じさせる場所として、スペインを売り出したのだ。その結果、北半分のスペインは「スペインらしくない場所」だから、観光では無視された。それがのちに話題となるバスクである・・・といった歴史がわかってくる楽しさを味わい、しばらくはヨーロッパとつき合いたくなったのである。なんのきっかけもなく、世界史のお勉強なんかできないが、旅行するとなると西洋史のあれこれも知りたくなるということだ。ヨーロッパをほんの少し旅するようになって、ヨーロッパのことが多少はわかるようになってきた。

 

 単行本の編集作業が終わりに近づいたとき、編集者から「『あとがき』の原稿をお願いします。長さは追ってお伝えします」というメールが来た。「あとがき」で書きたいこと、書けそうなことがいろいろ浮かび、20ページでも30ページでも書けそうな気がして来た。「アジア文庫の大野さん」の話は絶対に書いておきたいと思った。翌日、「『あとがき』は5ページで」というメールが来たが、そのときに書きたいと頭に浮かんだあれこれが、今回の「なんだか、遠い昔のようなことと、ちょっと前のこと」の10回分の原稿になった。

 まだ書いていないこともあるが、まあ、いいか。