1448話 その辺に積んである本を手に取って その5

 渋沢栄一と異文化

 

 明治の人で、いつかその生涯をざっとでもおさらいしたいと思っている人物がふたりいる。後藤新平渋沢栄一だ。日本近代史の政治や経済に対する関心からではなく、異文化とどう対応したのかを知りたくなったのだ。

 どちらの人物についても、不要不急のテーマなので、「そのうちに・・・」と考えているうちに時間が流れた。後藤新平に関してはまだまったく手をつけていないが、渋沢栄一についてはちょっと手をつけた。

 宮本常一も気になる人物で宮本の著作はすでに何冊か読んでいるが、この機会に宮本と、渋沢栄一の孫の渋沢敬一のふたりにスポットライトを当てた『旅する巨人』(佐野眞一文藝春秋、1996)を読んだ。この本は、渋沢家三代と宮本常一の生涯を描いているから、渋沢栄一の話もかなり出てくる。

 私と付き合いのある人のなかには、宮本常一と交流のあった人が少なからずあり、「宮本の葬儀の日はとんでもなく寒かった」といった話も聞いたことがあり、小さな原稿用紙に書いた宮本の生原稿も見たことがあるが、宮本本人に会ったことは一度もない。会いたければ会える機会はあっただろうが、民俗学よりも民族学文化人類学)の方に興味のある私は、宮本の著作を読んではいても、宮本の世界に引き寄せられることはあまりなかった

 『旅する巨人』の次に、同じ著者の『渋沢家三代』(文春新書、1998)を読んだ。この本を読みながら、ちょっと前に『青年・渋沢栄一の欧州体験』(泉三郎、祥伝社新書、2011)を読んだことを思い出し、「どこかにあるはず・・・」と我が家に捜索隊を派遣したが、ちょっとした捜索程度では発見できない。私の関心は、日本経済の父とか数多くの会社を作った男という保守本流の活躍はどうでもよく、幕末から明治にかけての西洋体験に関心がある。渋沢の異文化体験記は、福沢諭吉の『福翁自伝』にも似て、異文化に対する強烈な好奇心に貫かれている。それはほかの人の戦前の著作でも、今の日本人はほとんど失った異文化への興味にあふれている。海外旅行が当たり前になった今、旅行記を読むと、旅先で出会う事柄を、すべてわかったような気分になって、「なんだ、これ?」と、もっと知りたくなる好奇心がなくなってしまったような気がする。

 渋沢栄一慶應3年(1867)に、徳川昭武慶喜の異母弟)に随行してヨーロッパに行き、慶應から明治に元号が変わって帰国した。その時の異文化体験を知りたくて『青年・渋沢栄一の欧州体験』を買った。もう一度内容を確認したいと思ったが、その本が見つからない。すぐさまアマゾンで買い直すことはできるが、買ったことも読んだことも覚えているが、内容を覚えていないということは、再読する必要はないかもしれないかなどと考えて、買い直すのはやめた。

 来年のNHK大河ドラマ渋沢栄一の物語だということで、渋沢関連本が山ほど出ているものの、私の関心分野に答えてくれそうな本は1冊しかない。フランスに詳しい鹿島茂なら、きっと渋沢のフランス体験をみごとに描いてくれるだろうと思って注文した『渋沢栄一 上 算盤篇』(文春文庫、2013)が、たった今到着した。ヨーロッパ滞在に関するだけで150ページ以上ある。よし、楽しみだ。

 渋沢の欧州体験研究の正しい方法は、渋沢の旅日記『航西日記』を読むべきで、『アメリカ彦蔵回想録』などと共に『世界ノンフィクション全集14』(筑摩書房、1961)に収められていて、1000円プラス送料ですぐに買えるのだが、「まあ、まだいいか」とそのまま放っている。