1450話 その辺に積んである本を手に取って その7

 味噌、納豆、醤油

 

 小林真樹さんが旅行人の新刊『食べ歩くインド』を送ってくれたのだが、すぐには読めなかった。ちょうど『謎のアジア納豆』(高野秀行、新潮社、2016)を読み始めたところだったからだ。この本も、買ってから時間がたち、そろそろ古漬けになりそうになって、「未読の山」から取り出したのだが、ちょっと前に文庫化されたそうで、願わくば「単行本に大幅に手を加えた、増補改訂版!」の文庫でないといいのだが、逆に言えば、カラー写真を多数掲載したビジュアル版なら、大歓迎だ。開高健の『オーパ』ほど写真を多用しなくても、カラー写真が少ないというのが、この本の最大の欠点かもしれない。この本が、『食べ歩くインド』のように、カラー写真を多用した構成だったら、もっと素晴らしい本になったと思う。未知の食べ物の話は、写真がないとよくわからない。

 『謎のアジア納豆』で気がついたことを一点だけ書いておくと、「納豆を食べる地域のコメはなぜか丸い」と書いているのは、そのコメが陸稲(おかぼ)だからだろう。陸稲は熱帯ジャポニカ(以前は、Javanicaジャバニカと言った)だから、インディカのように細長くない。水田が作りにくい焼き畑農業の山間地では、稲作は陸稲栽培になる。そういう土地で納豆が作られているということだろう。

 高野さんはこの本の最後の章で、日本の納豆は中国から伝来した(渡来伝播説)のか、それとも日本で生まれた(国内独立起源説)のか、さてどうなんだろうと考察している。高野さんは日本発生説を支持しているようだが、決定的な証拠はまだない。

 その章を読んでいて思い出したのが、日本の醤油の起源だ。味噌も豆腐もうどんも、中国から伝わったものだという知識で、醤油も当然中国から伝わったのだろうと思っていたのだが、どうも違うようだ。

 味噌の元となる醤(ひしお)は、中国から伝わった。醤は、食品を塩漬けした調味料のことで、肉が原料なら肉醤、魚なら魚醤、穀類なら穀醤といった具合に原料で区別される。穀物に塩をして発酵させたものが、のちに味噌になっていくのだが、醤油が中国から伝わったという史料が見つからない。

 素人があれこれ考えても進展しないので、専門家に教えてもらった。日本食文化史の研究者である東京家政学院大学名誉教授の江原絢子(えはら・あやこ)さんに私の疑問をぶつけると、

 「そうでしょ、醤油の歴史ははっきりしないんですが、醤が味噌になり、味噌を作る過程でできた液体が、つまり醤油です」

 「ということは、日本の醤油は日本生まれということですか?」

 「はい、そうだと思います」

 大豆など穀類に塩と麹を加えて漬けると、上澄み液ができる。これがうまいので、のちに液体そのものを作るようになり、醤油の生産が始まるということだ。中国でも、日本でも、それぞれ独自に醤油生産が始まったらしい。

「醤油は江戸時代後半から使われるようになる」と書いてある資料が多いが、それは江戸や京大坂といった大都会でのことだ。江戸で醤油が使われるようになったことで、すしやウナギのかば焼きや湯豆腐など、現在の日本人が考える「日本料理」が生まれたのである。

 しかし、農山村離島では、毎日ごく普通に醤油を使うようになるのは、白米が毎日食べられるようになる1950年代末か60年代初めではないかと想像している。昭和の初めに秋田で生まれたある人は、「醤油というのは、年に何回か口にするぜいたく料理に使うもので、普段はハタハタ(の内臓や頭)から作るしょっつるを使っていました。家で大豆は作っていましたが、布や農機具などを買うために大豆は売ってしまいますから、家で醤油は作れないのです」

 大豆の栽培に気候的に適していない沖縄では、塩味調味料は塩や海水で、醤油はほとんど使っていなかった。沖縄で醤油が使われるようにあるのは、戦後のことだろう。いまでも、沖縄料理の多くは、塩味だ。

 鹿児島名物のキビナゴの刺身を酢味噌で食べるのは、醤油が普及する前の料理だからだろう。やはり名物の豚骨料理も味噌煮込みだ。

 江戸時代の食生活を、江戸中心主義で考えれば、白米の飯もすしもそばも、もちろん醤油も、長屋の熊さん八つぁんでも口にできる食べ物だったが、農山村離島では遠い遠い存在だったのだ。「日本料理とは?」というテーマを考えるとき、江戸京大坂だけで考えるか、農山村離島も含めて日本の料理史を考えるかで、描く世界はまるで違う。

 

納豆とも醤油とも関係ないが、忘れないうちにメモを書いておく。「小さな村の物語 イタリア」(BS日テレ)は、そのタイトル通り、イタリアの小さな村に住んでいるごく普通の人を取り上げて、その生涯や生活ぶりを描く1時間番組だ。昨夜見たのは、2018年に放送したシチリア編の再放送を録画したものだ。村人の普通の生活を描くから、私にはうれしいことに料理しているシーンと食べているシーンがよく出てくる。昨夜の番組では家族そろって食事をするシーンで、前菜としてトマトソースで和えたスパゲティーが2度出てきた。イタリアの家庭で作るパスタはコースの中のひと皿だから、具など入っていない。パスタのあと料理が出てくるのだ。

 そのトマトソースのスパゲティーを、家族はフォークとスプーンで食べているのだ。日本の自称イタリア通は、「パスタにフォークとスプーンを使うのは、子供かアメリカ人だけだ」などと知ったかぶりをするが、この手のテレビ番組で日本人レポーターが出てこない構成だと、イタリア人がフォークとスプーン、あるいはフォークとナイフでパスタを食べているシーンを時々見る。ついでに言うと、鍋に砂糖を放り込む料理人も見ている。日本人のイタリア料理通の話など、信用してはいけない。「韓国人は器を持ちあげて食べない」という俗説と同じように、頭から信じてはいけない。だから、映像の力はすごいのだ。

もうひとつ、緊急臨時追加コメントを。今日(2020.7.29)の朝日新聞朝刊の特派員コラム「世界発2020」はアンドラを取り上げているがわかりにくい文章だ。「国境では入国管理がなされ・・・」とあるが、これはおかしい。コロナ禍で出入国を制限したのはアンドラだけではない。平常時は多くのヨーロッパ諸国と同じように、陸路の出入国に検査はない。アンドラの話は、このアジア雑語林671話(2015-03-13)を参照。