1461話『食べ歩くインド』読書ノート 第9回

 

 

P131血の食文化・・ヤギの血に内臓を加えた料理に、「チベットやネパールの食文化との近似性を感じさせる」という文章から、「インド料理と血」について考えた。

 まず、世界の料理と血の例を。

 肉食をする民族は、血に関してふたつのグループに分けられる。ユダヤ教イスラム教では、屠殺したとき、血を完全に抜かなければいけない。それ以外の人たちは、血に手を加えて食料とする。血を入れたソーセージは様々な地域で食べられている。中国やタイでは、血を固めてプリンのようにした食品がある。血を調味料の1種として使うこともある。

 日本では肉は食べるが、血は沖縄を除けば食べない。「食べてはいけない」というタブーはないが、「食べたくない」という人が多いようだ。日本人が苦手な韓国料理ワースト3に入るのが、スンデだろう。もち米や春雨にブタの血を混ぜて、ブタの腸に詰めたソーセージだ。ウシの血を絹ごし豆腐のように固めたもの(牛の鮮血をスンジといい、固めたものもこの名で呼ぶ)をスープに入れたのが、ヘジャンシックだ。これも、日本人の好みには合わないだろう。

 韓国人は血の料理が大好きなようだが、「でもなあ」とも思う。牛肉の大きな塊を煮る場合、寸胴鍋に肉を入れ、水を注ぎ、そのまま水につけておくか、豆腐屋のように、翌朝まで水を流しっぱなしにすることもある。こういう知識は、韓国の飯屋の仕込み風景で見た。牛肉の塊を煮るときは、徹底的に血抜きをすることが重要らしい。血抜きのシーンは、ドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」にも出てくる。

 韓国の食べ歩き番組を見ていたら、「この店の肉は、ちゃんと血抜きをしているからうまい」と評していた。その店の血抜きは、肉をひと晩水につけ、翌日、その肉をゆで、ゆで汁を捨てて、肉を水洗いして、冷水からコトコトゆでる。世界の料理人がこの料理シーンを見たら、「なんてことをするんだ。スープを捨てるのか?!」と言いたいはずだ。ウシの血が嫌いなようで、しかし血の料理は喜んで食べるというのがわからない。

 ヒンドゥー教では血は不浄なのだが、料理と血について考える材料として、Youtubeで大好きな”Village Cooking Channel”を次々に見た。村の野外料理だ。作るのはプロだろう。インドの大都市の外国人がよく来る高級インド料理店の厨房ではなく、村の原っぱで料理するというのがいい。

 ヒツジやヤギ1頭を骨がついたままこぶし大に切り、金タライに入れて、バケツの水を注ぎ、肉をじゃぶじゃと洗い、別の金タライに入れる。肉を水洗いするのは、血を洗い落とすためか、それとも汚れを落とすためか。

 友人が肉を洗っているのを見たことがある。ひとりはタイ人で、もうひとりはインドネシア人だ。スーパーマーケットで買ってきた肉を、まるで雑巾を洗うように流水で洗っていた。どうして、そういうことをするのだろう。友人ふたりは私よりちょっと年下だが、若い時に市場で肉を買った記憶がある。肉は板やコンクリかタイルの上に置かれ、ほこりが舞いハエが飛んでいる。だから、市場で買ってきた野菜も魚も肉も、最初によく洗ってから料理をする。それだけのことで、インドの農村でも、同じように肉をじゃぶじゃぶ洗ったのではないか。

 引き続きYoutubeを見ていたら、”Goat blood Recipes”という番組があって、ヤギの血を使ったタミル料理2種が紹介されている。料理の手順はこうだ。

1、ヤギの血を蒸し、固まったら2センチ角くらいに切る。

2、ヤギの肝臓、腸、腎臓をサイの目切りにして、1を加えて煮込む。

3、2品目は、1を青トウガラシとカレーリーフで炒める。これが、『食べ歩くインド 南西編』31ページに出てくるラッタン・ボリヤル(血の炒め物)だろうか。

 血の料理の例は見たが、ヒンドゥー世界でどれだけ食べられているのかは、知らない。

 「血とインド亜大陸」は、学術書が書けるほどの大テーマだと思う。

この原稿はアフリカ音楽を聞きながら書いた。10年以上まえに安く買った3枚組CD ”The Essential Guide to Africa”は、これからアフリカ音楽を聞こうとする人にとって絶好の入門盤になるから紹介しようと思ったが、いまアマゾンで調べると格安ではない。でも、いいバランスで収録されているから、もしアフリカ音楽に興味があればどうぞ。でも、まだインド音楽のCDには手が伸びないなあ。一応は、買っているんだけど。