1466話『食べ歩くインド』読書ノート 第14回

 

 

 コメの話の3回目だ。

 『料理の起源』に続いて、『アジア稲作文化の旅』(渡部忠世NHKブックス、1987)から情報を探した。この本の内容に、記憶はない、傍線も付箋もないから、もしかして読んでいないのかもしれない。そんな気がしたのは、この本はもっぱら雲南、アッサム、インド亜大陸に焦点を合わせ、私がもっとも知りたい東南アジアが出てこないからではないか。

 いままでインドに手を出さなかったのは、広大な沼に足を取られるのを避けたかったからだ。インドに手を出すと、いくつかの言葉の勉強をはじめ、インドの基礎学力を身につけるのに時間とカネと手間がかかり、結果的にインドしか知らない人間になってしまう危険性がある。それは中国も同様で、だから三輪車研究では、中国もインドも手をつけなかったのだ。インドネシアもそれに近く、本格的に手をつけなかったのも、島が多すぎて、主要な島の基礎知識を頭と体で体験しようとすると気が重くなる。

 私の興味は、あるテーマの全体の概要であって、針先の事実ではない。私の好奇心は、学者のように〇〇島の△△村X地区に何年も住み込んで調査をすることではない。1980年代にタイを定点観測地に選んだのには、交通や言語やビザ事情などを考えたうえでの選択だった。そして、タイを定点観測の基地にして、研究テーマを好奇心のままに世界に広げようと思った。△△村の研究をしていれば、世界で一番△△村に詳しい人になれるかもしれないが、悪くすると△△村のこと以外まったく知らない人になってしまうかもしれない。私は△△村研究の世界的権威になるよりよりも、「薄っぺら」と批判されようが、世界のいろいろな事柄を知りたい。研究テーマも地域も限定したくなかった。だから、こうした行動は、学者の研究ではなく、ライターの道楽である。

 さて、『アジア稲作文化の旅』だ。この本にも、インドのパーボイルドライスについて詳しい記述が載っている。著者はビハール州のパーボイルドライス工場で、加工法を見学している。籾を2,3日水につけ、蒸気を吹き付けて蒸し、乾燥して、精米するという工程で、小規模にやるなら籾を蒸さずにゆでる。こうした加工法の話の後、私がもっとも知りたかった、「なぜ、ゆでるのか?」という話に入る。

 渡部は、まず中尾佐助の論文「農業起源論」(1967)をとりあげる。中尾佐助はパーボイルドライスにする理由を「自然に脱粒してしまいやすいインディカの稲の場合に、それを防ぐために未熟刈りしたことから、この籾の処理方法が発想されたと述べている」と、紹介している。『世界の食文化 インド』も、この説を採用しているのだが、渡部は立場を変えて、インドの農民の考えを2点紹介している。

1、精米時に、砕け米ができないこと。細長い長粒種の場合は有効な加工法だ

2、貯蔵中のコメの害虫防止。籾の中に入っている害虫の卵や幼虫を殺すのに有効だ。

 おそらく、昔のコメは中尾が書いているように、脱粒しやすかったのだろうが、今は渡部が挙げた2点が主な理由らしい。

 インドでは現在どのくらいのパーボイルド・ライスが生産されているのか調べきれなかったが、1987年出版の『アジア稲作文化の旅』では、「インドでは籾の総生産量の半分近くがパーボイルド・ライスとして加工されているという」と書いている。

 パーボイルド・ライスという加工法はインド亜大陸では昔から現在まで広く行なわれているが、インド亜大陸を離れると、とたんに姿を消す。しかし、意外なことに、昔の朝鮮にはあり、韓国ではまだ市場で売っているらしい。その話をアジア雑語林の445話(2012-09-22)ですでに書いている。このテーマで引き続き調査をしたいのだが、「韓国 パーボイルドライス」で検索すると、我がアジア雑語林が出てくるというほど、情報が少ない。実は、私が知りたい項目をパソコンの検索欄に書き込むと、私の駄文が出てくる頻度が高い。つまり、私が知りたいことを書いているのは、私以外にそれほどいないということだ。