1467話『食べ歩くインド』読書ノート 第15回

 

 

『食べ歩くインド 南西篇』

 今回から、『南西編』に入る。

P15菜食・・このページの文章が、私にはよくわからない。インド料理を知らない私がいうのは、ちゃんちゃらおかしいと言われそうだが、私の疑問はこういうことだ。

 「一般的なイメージとして持たれている、北インドが肉食中心の料理、南インドが野菜中心の料理というのはむしろ逆なのだ」

 というなら、「北インドは野菜中心の料理で、南インドは肉食中心の料理」というのが正しい姿だということらしいが、そうなのかなあ。小林説が間違いだなどと大それたことを言う知識はないから、「ふーん」と思っただけだ。だから、「実は南インドは肉料理中心で・・」というなら、ヨーロッパのように牧場で家畜を育てて売るという酪農・牧畜業と流通のシステムが古くからできていなければ、ほとんどの人は菜食だったはずだ。そして、「北インドは野菜中心の食事」だというなら、その野菜というのは、どういう野菜をどのくらい栽培していたのかといった農業史の裏付けも必要だ。現在の姿を見ただけではわからない。過去も踏まえて、この問題は考えないといけない。

 菜食主義の背景にはいろいろあるとは思うが、そのひとつは、いままでさんざん肉を食べてきた人が、過去を反省し、悔い改めるために菜食主義者になるということがあると思う。これが第1世代で、次の世代にも親の菜食が子供に受け継がれる。だから、もともと肉など食べる余裕のない人たちは、改めて菜食主義者を志すこともない。こういう人たちを、私は経済的菜食主義者と呼んでいる。欧米で菜食主義者が増えているのは、いままでさんざん肉を食べてきたから菜食に転身したのだ・・・というようなことを、日ごろ考えている。

P34パロタ・・1974年、マレーシアのペナンから船に乗ってマドラスに向かった。航海中の食事は船賃に含まれているので、3食を腹いっぱい食べられた。最低クラスの船室客たちの唯一の楽しみだった。普通に考えれば最低の飯だろうが、私には「まずかった」という記憶はない。「うまかった」ものはある。好んで食べたのはパイ状のパンで、食堂で名前を聞いたら、「パラータ」という返事だった。このパンが気に入ったので、マドラスに着いてからもよく食べた。食堂で、作り方を見た。発酵させた精白小麦粉をひとつかみ取り、油をまぶして練り、またしばらく発酵させる。すでに充分発酵させたものを取り出して、油をまぶしながら透けるほど薄く延ばし、くるくると巻いて円盤状に薄くして、油がはいった鉄板で焼いたものだ。

 この本に出てくるパロタが、かつて私が食べたパラータなのかもしれないと調べたのだが、深い沼に入ってしまった。ネットで調べてみたが、parothaとparottaの違いが判らない。画像を調べると、同じもののように見える。34ページで、パン・パロタは「ケララのソフトな仕上がりのポロタとは全然違う」と書いているので、そのケララのポロタを調べたら、porottaも出てくるが、それ以上にparotta やparattaといった表記がある。元はラテン文字表記ではないから、いくつも表記があるのだろうと理解する。この謎を解明する基礎学力がないから、これ以上深追いしない。識者の解説を読みたい。

 パラータ関連で気になったことがいくつかある。まず、マレーシアのロティ・チャナイroti canaiだ。マレーシアでは「ロティ」は、パンの総称で、インドのパンに限らず、甘いパンもフランスのパンも、すべてロティーだ。ロティ・チャナイのcanaiの意味がよくわからない。Chennai(マドラス)が変化したものだという説もあるが、さて、どうだか。マレー語辞書では「湿らせる」「なめらかにする」という意味の単語で、ロティ・チャナイそのものは、パイ状のパン、インドのパラータだ。マレーシアのインド人屋台で、「ロティ・チャナイをください」というと、このパラータを油で焼いてカリッとさせて、皿の上で握りつぶし、スパイス風味の汁をかける。シート状に薄く延ばした生地でタマゴを包むと、roti telur。バナナを入れるとroti pisangになる。rotiのあとに使う食材の名をつけると料理名になる。

 1990年代に入ってから、もしかすると2000年代に入ってからかもしれないが、バンコクでも屋台でこの食べ物を見かけるようになった。タイ語「ロティ」と呼んでいるが、マレーシアのroti telurとroti pisangを合体させたもので、タマゴとバナナを入れて包んで焼き、加糖練乳を浴びるほどかけたもので、それはもうひどく甘い菓子になっている。練乳だけでは満足せず、その後チョコレートをかける店も出てきた。

 肉やタマネギやタマゴを入れると、murtabakと別の名前になる。

 ケニアのナイロビで、ムルタバを見かけた。スワヒリ語でMukate ya Mayaiという。直訳すると「パンとタマゴ」だ。よく発酵させた小麦粉のひと塊を透けるほど薄く円形に延ばし、熱した鉄板にのせる。ここまでは、マレーシアのロティ・チャナイと同じだ。中央にタマネギと肉のみじん切りを入れて、タマゴを割り入れる。クレープ状の台の上下左右を中に織り込んで、四角くする。裏返してよく焼く。塩味だ。

 この食べ物の経歴がわからない。マレーシアでもケニアでもインド人が作っていたから、インド起源だと想像していたのだが、インドで同じものが見つからない。ウィキペディアは、日本語版でも英語版でもこの食べ物を解説していて、サウジアラビアクウェートからマレーシアやインドネシアに広がっていると書いているが、日本語版も英語版も、「インドにもある」とは書いてない。日本語版は「デリー・スルターン朝(1206~1526)時代のインドが発祥である」としている。英語版は“Murtabak might originate from Yemen, ”としていて、真実がわからない。

 この食べ物だけで、1冊分になるほど複雑な過去と想像を超える広がりがある。