1484話 『失われた旅を求めて』読書ノート 第2回

 

 中国 その2

 

 中国には行ったことはないが、入国する気はないのに、審査を受けさせられたこともある。不幸にして北京乗り換え便を利用したときだ。単なる乗り換えなのに、厳しいパスポートチェックを3度と荷物検査を1度受けさせられたことがある。アメリカも、こういうことをやる。乗り換え(トランスファー、トランジット)だから、日本の空港なら到着ゲートから出発ゲートに移動するだけなのだが、アメリカは「わが領土内にいるのだから」という理由で、入国審査のようなことをする。中国も同じことをやる。というわけで、法律上は中国に入国してはいないが、中国領土内でのべ6時間ほど過ごしたことはある。

 中国に行ったことはないが、その領土を何度か見たことはある。1973年と74年に、香港北端の落馬州(ロクマチャ)の小高い丘から、中国を眺めた。その当時、ほとんどの日本人はまだ知らない深圳(しんせん、という読み方も広まっていなかった)という場所を眺めたのだが、そこはただの大水田地帯で、数軒の家と、アヒル小屋があった。視界の届く限り水田が広がっていた。1995年にまたその丘に登ってみると、ビルだらけで、もちろん水田などすっかり消えていた。上海や北京も大きく変貌したのだが、もともと大都市だから、ガラス張りの超高層ビルが建っても、かつての面影はどこかに残っているのだが、純農村が高層ビル街になってしまうと、水田地帯の面影などすっかり消えている。

 マカオに初めて行ったのは、香港よりだいぶ遅かった。80年代に入っていたと思う。橋を見ると歩いて渡りたくなるタチの私は、マカオ半島タイパ島を結ぶ澳氹大橋(Macau-Taipa Bridge)にも足を進めたのだが、太鼓橋のこの橋は長いうえに登りがきつい。のちに地図で見ると4キロ以上はありそうな橋だった。タイパ島の南にコロネア島とも橋でつながっているのだが、もはや歩く元気はなく、バスでコロネア島に行き、帰路もバスでマカオの街に戻った。

 この文章を書くためにマカオの地図を見たら、あの橋は1990年に新澳氹大橋あるいは澳門友誼大橋という橋に架け代わっているだけでなく、タイパ島とコロネア島の間は埋め立てられていた。島に橋がかかるというのはよくあることだが、島と島の間を埋め立てて合体させるという変化はそうないだろう。

 マカオと中国の国境検問所は、建物は同じだった。80年代初めは、門の外に見える中国は農村だったのだが、95年には背後に建物ができて、「中国」は見えなかった。

 今思い出したのだが、中国に行こうかと考えたことが1度だけあった。台湾の旅行事情を調べていたら、台湾と中国の間に何本もの航路があることがわかった。台湾から中国福建省廈門市(アモイ)にも行ける。アモイならおもしろそうで、一度大陸に渡ってしまえば、香港にも行けるし、雲南省まで行き、東南アジアへ南下できる。北上してロシア経由ヨーロッパとまでは考えなくても、雲南省ルートはおもしろいかなと昆明の現在をネットで見ると、高層ビルばかりで、おもしろそうじゃない。中国の旅は、「時、すでに遅し」との戦いでもある。

 

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そういえば、ベトナムから中国を眺めたこともあったなあ。2014年