1485話 『失われた旅を求めて』読書ノート 第3回

 

 島 その1

 

 農村、漁村、島などが観光開発されると、たちまち姿を変える。

 バンコクの南にあるサメット島に初めて行ったのは、たぶん1970年代末だったと思う。タイ人の友人に勧められ、行き方を教えてもらい、出かけた。粗末なバンガローが5軒ほどあっただろうか。電気・水道はない。私がこの島に滞在していたときにいた旅行者は、私も含めて5人程度だった。当時、この島のことはまだ日本では紹介されていない・・というより、タイの小さな島でも紹介するガイドは、雑誌「オデッセイ」しかなく、私が紹介記事を書いた。

 サメット島と間違えられやすい南部のサムイ島は、80年代初めには旅行者の間ではすでに知られていて、私もサムイ島からバンコクに戻ってきた旅行者に勧められて、行くことにした。バンコクから夜行列車でスラタニまで南下し、港から船で6時間くらいかかった。船といっても、木造の漁船のような船だった。サメット島よりもはるかに大規模なビーチリゾートで、大きなホテルはまだなかったが、いくつものビーチにバンガローが建っていた。たった1日で建てたようなサメット島の掘っ立て小屋とは違い、もう少しマシなバンガローだった。それ以後行っていない。サメット島には、1980年代末に再訪した。バンガローが増え、スタンドバーなどもできて、騒がしかった。

 「オデッセイ」でサムイ島を紹介したかどうか記憶にない。手元の資料で、もっとも早くサムイ島を紹介しているのが、『オデッセイ・トラベル・ハンドブック 東南亜細亜<熱狂の楽園・混沌の大地>』(水越有史郎、グループ・オデッセイ、1982)だ。わずか2ページの紹介記事で、「島の道路工事も着々と進み・・」とある。ウィキペディア英語版には、1970年代初頭まで島に道路はなかったという記述がある。

 オデッセイのガイドブックよりも詳しい情報が載っているのが、『宝島スーパーガイドアジア タイ』(JICC、1983)だ。スラタニも含めて、5ページの記事が載っている。その記事で心を躍らせたのは、サムイ島への交通が鉄道のほか、「バンコクからタイ・ナビゲーション・カンパニーのソンクラ行き船で約36時間。船内は清潔で、食事もよい」とある。このガイドを買ったときにはすでにサムイ島に行っているが、船旅ができるならまた行きたいと情報を探したが、バンコクからの船便は見つからなかった。

 ちなみに、サムイ島の記事3ページのうち1ページは「ヤシの木とサルの島 サムイ」というエッセイだ。筆者はまだ20代の森枝卓士

 サムイ島が大きく変身するのは、1989年に空港ができてからだ。『地球の歩き方 タイ ‘90~’91年版』によれば、バンコク・サムイ島間の飛行機は、1時間15分、1700バーツだった。日本円に換算すれば、現在とあまり変わらない。

 そして、サムイ島がもう一段の変身をするのが、ディカプリオ主演の2000年の映画「ザ・ビーチ」だろう。1980年代から、「悪くすると、サムイ島はプーケットのようになってしまう」と水越氏は心配していたが、プーケットを知らず、サムイ島を再訪していない私は、サムイ島の現在を知らない。ただ、テレビのバラエティー番組で、何の説明もなしに、若いタレントが、「この前、サムイ島に行ってさあ」、「アタシも行ったよ」などと話しているのを耳にすると、そくくらい有名な島なんだなということはわかる。島が変貌したことに対する失望感は、ない。