1489話 『失われた旅を求めて』読書ノート 第7回

 

 沙漠の街

 

 沙漠が街になるのは、無から有だから、変貌と呼べるのかどうか、ためらいはある。

 シャルジャに行ったのは、1978年だった。シャルジャを国名だと知っている人は少ないだろうし、ましてやどこにあるのか知っている人はなお少ないだろう。私だって、知らない国に無理に連れていかれたのだ。

 エジプトに行こうと、バンコクからエジプト航空機に乗った。はっきりした記憶はないが、たぶんボンベイあたりを経由し、次はカイロだ。しかし、私が乗った飛行機が着陸したのは沙漠の空港で、どう考えてもカイロとは思えなかった。

 「ここは、どこですか? カイロじゃないですよね」と客室乗務員に聞くと、「シャルジャです」

 「それ、どこの国ですか?」

 「だから、シャルジャです。国の名前です。機体が故障したので、ここで1泊します」

 シャルジャなどという国の名を、私は知らない。

 乗客はバスに乗せられた。車窓の両側は、テレビ番組なのでおなじみの、砂の沙漠が広がっていた。少々解説しておくと、「さばく」といっても、テレビでよく見る砂のさばくは実は少なく、多くは岩や石がごろごろしている土地が多い。アメリカのデスバレーやグランドキャニオンなどだといえば、わかりやすいか。そういうわけで、「さばく」は砂だらけの場所というだけでなく、水の少ない土地ということで、砂漠よりも「沙漠」と表記したほうが実情に合っているというわけだ。

 沙漠の一本道を抜けると、小さな家が見えてきて、その向こうに孤立している高層ビルが見え、その前でバスが止まった。ビルの周囲に建物はない。人工物は何もない空き地で、まるで1960年代か70年代の晴海の埋立地を思い出したのだが、あのころの晴海の埋立地には草木は生えていたのだが、ここには草木はまったく見えなかった。その高層ビルの背後は見えないが、あとで調べると海だったらしい。その高層ビルは、ヒルトンだったか、インターコンチネンタルだったか、あるいは、ハイアット・リーゼンシーだったか覚えていないが、とにかく私でも知っている世界的に有名な高級ホテルで、その夜は私の宿になった。航空会社がスポンサーだから、サンダル履きでも、宿泊を断られない。

 部屋に荷物を置いて、ホテル周辺の散歩に出たが、もう薄暮だというのに息苦しいほどに暑く、何もない空き地を5分ほど歩き、小さな市街地に出たが、2階建ての住居兼用商店のほとんどは閉まっていた。どうせ現地のカネもないので、数分歩いただけで、ホテルに戻った。

 我が貧乏旅行で、高級ホテルに泊まったのは、それが2度目だった。団体旅行ゆえに泊まらざるを得なかったモスクワのホテル・ウクライナは高額ではあるが、高級とは言い難いサービスなので番外としておくと、生まれて初めて泊まった高級ホテルは、香港のエクセシオールだった。バンコクから乗ったエア・サイアム機が香港で故障し、乗客はホテルに送られた。1976年10月のことだった。エア・サイアムは76年末に運行を停止し、倒産した。その航空券を持っている旅行者たちが、旅先で路頭に迷うことになった。

 それが最初で、2度目がシャルジャのこの高級ホテルというわけで、町の散歩を早めに切り上げたのは、暑くて息苦しくておもしろみのない町散歩よりも、高級ホテルで今後体験することのない「入浴」というものを楽しんでみようと思ったのである。熱帯を旅することが多く、水シャワーが普通で、それで何の不満もないのだが、根が貧乏性でケチだから、タダならありがたいと、あまり好きでもないのに、風呂にゆっくりつかり、石鹸やシャンプーを確保し、裸で部屋を歩き、水泳の飛び込みのようにベッドにジャンプし、ノリのきいたシーツにくるまって寝た。ちなみに、夕食はステーキだった。もしかして、これは人生初のステーキだったかもしれない。

 帰国して、シャルジャを調べた。シャルジャはアブダビやドバイなどと結成したアラブ首長国連邦UAE)の1国だった。連邦の建国は1971年だから、私が行ったのは建国してまだ7年目だったことになる。産油国ではないが、産油国で働く人たちのベッドタウンのような国になっているらしい。

 今はもちろん、超高層ビルの都市だ。