1493話 『失われた旅を求めて』読書ノート 第11回

 

 ベトナム

 

 ベトナムに初めて行ったのは1996年だった。いま、こうして旅行した年をはっきりと書くことができるのは、いままで使ったパスポートを取り出して、出入国スタンプから旅行先リストを作ったからだ。スタンプが鮮明ではないものも多く、リストは正確ではない。1970年代前半の旅行は記憶がはっきりしているのだが、その後の旅は、「いつ、どこへ」の記憶が雑然としている。初めてベトナムに行ったのも、「ちょっと前か」と思っていたが、調べれば、もう24年も前のことだ。

 南ベトナム最大の街サイゴンは、1975年の統一後ホーチミンと名前が変わったという報道を信じていて、それは事実ではあるのだが、この街の人は昔と変わらず「サイゴン」という名を使っていた。

 「ホーチミンは、人名。この街の名はサイゴン。それなのに、ホーチミンと呼ばせようとしているのは、ハノイ共産党政府の矯正だ」という声も聞いた。24年前のその声は、今はどうなっているのかちょっと調べてみると、この街の駅は「サイゴン駅」で、それは市民の呼び名だけでなく、正式名な駅名だ。日本のマスコミが気をきかせて「ホーチミン」と呼んでいるだけで、地元ではこの街の名は昔通り「サイゴン」がふつうなのだ。

 そのサイゴンのことを、『タイ・ベトナム枝葉末節旅行』(めこん、1996)に書いた。サイゴンの第一印象はカルカッタだった。歩道の塀の脇は一面公衆便所化していて、糞尿臭でおおわれていた。その近くの歩道は夜になると寝床になった。路地裏ではない。ベンタイン市場前の大通りの広い歩道をねぐらにしている人が数十人は、いた。新しいホテルはできていたが、高層の近代的なビルではなく、中層のそれほど大きくないホテルだった。そのホテルの出入り口付近で、カブに乗った売春婦が外国人に声をかけていた。サイゴンは、まだベトナム戦争中のサイゴンだった。

 そんなサイゴンが、ちょっと目を離しているすきに、外見だけはガラス張りの高層ビルが林立する大都市に姿を変えていた。「ほんとに、これが、あのサイゴンか?!」という驚きだった。俯瞰図ではなく、路地裏の目で見れば、かつて見た「あのサイゴン」はまだ残っているはずだが、観光写真ではごまかせる外観である。

 蔵前さんは、1994年にハノイに行った。「ハノイの通りはまだとても静かだった」と写真に説明文をつけている。私がハノイに行ったのはそれから10年以上たった2015年のことだったが、印象はとてもよかった。当然、昔よりは交通は激しくなったはずだが、交通が激しい上に信号が満足にない1996年のサイゴンよりは、はるかにましだった。ハノイはそれほどおもしろくないんじゃないかという予想をうれしい方向に裏切り、気に入った。そこで、このアジア雑語林に長い連載「インドシナ 思いつき散歩」を書いた。

 30年以上前なら、落ち着いたハノイのような街よりも、ゴチャゴチャガヤガヤとしたサイゴンのような街のほうがはるかに好意を持ったはずなのだが、50歳を過ぎたあたりから、比較的静かな街のほうが好きになった。年を追うごとに人込みが嫌いになり、騒音にイライラするようになり、東京散歩もあまりしなくなった。自然と共に生きる田舎暮らしなんかまっぴらごめんだが、だからといて大都市での生活や散歩にも魅力を感じない人間になった。

 ハノイ旅行から帰ってすぐから、「また行きたいなあ」と思うことがよくある。ハノイは、大好きな街のひとつになった。行きつけとなった食堂にまた通いたい。ハロン湾には興味はないが、今度はハノイからフエかダナンあたりまで南下しようなどと考えていたのが昨年のことだ。新型コロナなどなければ、今年はギリシャ経由ブルガリアか、ベトナム北部に行ったはずなのだが・・・。