1494話 『失われた旅を求めて』読書ノート 第12回

 

 カオサン その1

 

 バンコクにやってきた若き個人旅行者たちの宿は、年代によって変わる。1960年代から70年代なら、チュラロンコーン大学敷地内にあったユースホステル、YMCA、マレーシアホテルなどの元R&Rホテル(ベトナム戦争当時の米軍兵士休暇専用のホテル)、そしてファランポーン駅周辺の旅社(中国式安宿)で、『深夜特急』で沢木耕太郎が泊まったという安宿が、駅前ホテルのひとつらしい。駅前にいくつもある安宿のなかで、タイ・ソン・グリートは伝説的な安宿だった。西洋人の旅行記にも出てくる。この安宿の話は、アジア雑語林でも書いたし、『バンコクの好奇心』(めこん、1990)にも書いた。

 インド帰りの日本人は1970年代になって少しずつ増えて、日本人がかたまって泊まるようになる。その最初の宿が楽宮旅社で、80年代に入るとそこよりも快適なジュライホテルに泊まるようになる。西洋人旅行者は、カオサンにでき始めたゲストハウスに集まるようになるが、日本人にはまだほとんど知られていなかった。蔵前さんが「1986年はまだあまり日本人には知られていなかったが、すでにゲストハウスや店が何軒かあった」と書いている通りだ。

 80年代半ばにカオサンのゲストハウスに泊まったことのある日本人の友人は、インドからの帰路、バンコクの空港で知り合った西洋人旅行者にくっついていったのがカオサンだったという。日本人宿泊者はほとんどいなかったという。

 カオサンの情報が、旅行雑誌「オデッセイ」に載っていたかどうか知らない。私の耳には「王宮のほうに安宿ができつつある」という噂が流れてきたが、交通が不便な地域だから、まったく関心はなかった。

 『地球の歩き方』でカオサンを取り上げた最初はいつなのか知りたくなった。このシリーズの最初のタイ編は、『地球の歩き方 東南アジアA タイ 1986~87』(1985)で、出版当時書店で見かけたが買っていない。そのあとは書名が変わって、『タイ 87~88』などとなっていく。このあたりの本は、現在古本屋で3万円ほどするから買う気はない。『タイ ‘89』(1989)が手元にあるのは昔買ったからではなく、エッセイを書いたので版元が送ってきたからだ。このガイドにカオサンが載っているが、それよりも古い資料が手元にあるのを見つけた。『オレンジ・トラベル・プレスNo.13 タイ 旅する本』(早稲田編集企画室発行、笠倉出版社発売、1986)だ。カオサンは1ページに囲み記事になっている。手描きイラスト付きで、カオサン通りの十数軒のゲストハウスが紹介されている。ドミトリーが30~40バーツ、シングルベッドルームが50バーツとある。

 ちなみにこの本は、アマゾンで3万円近くする。著者のひとり、黒木純一郎は当時すでに松原智恵子と結婚しているはず。このオレンジ・トラベル・プレスというシリーズの『ハワイ』の著者は、河村季里。

 注:R&Rに、”rest and recuperation”や“rest and recreation” ほかいくつもの解釈があるのは、米軍の正式呼称ではなくスラングだったかららしい。ベトナム戦争中の米軍は、「1泊5ドル(100バーツ)以下、プール付き、24時間営業のコーヒールーム設置」という条件を満たせば、兵士休暇用のホテル、つまりR&R Hotelと認定し、軍内部の旅行社はそのホテルに兵士を送っていた。タイにはこのR&Rホテルがいくつもできた。ベトナム戦争後、この種のホテルが安い団体売春旅行団や節約型個人旅行者が愛用するとことなった。