1497話 『失われた旅を求めて』読書ノート 第15回

 

 カオサン その4

 

 日本人旅行者がチャイナタウンの楽宮旅社に集まり、階下の食堂、北京飯店が日本料理を出すようになり、日本語だけのメニューを掲げた。楽宮が満室になることが多くなると、日本人旅行者はすぐ近くのより快適なジュライホテルに移動して、日本人が集まる地区ができていった。日本人旅行者の数は欧米人と比べればはるかに少なく、チャイナタウンはすでに高度に密集した商業地だから、「日本人のカオサン」にはならなかった。

 政治的な問題でも嫌われているイスラエル人は、カオサンに集まり始めた。これも想像だが、日本人にとっての楽宮やジュライのような、カオサンに自然にイスラエル人宿ができたのか、それとも積極的に、誰かがイスラエル人専門ゲストハウスを作ったのかどうかはわからない。日本人が集まる楽宮旅社階下の北京飯店が日本食も出すようになったように、イスラエル人旅行者相手に、カオサンにイスラエル人好みの料理を出す店ができたはずだ。イスラエル人あるいは国籍はともかくユダヤ人が彼らの好ましい食事「コーシャ」を出す食堂をみずから作ったのだろうか。日本人の場合は、ただ単に「日本料理が好き」というだけだが、イスラエル人の場合はユダヤ教の戒律を厳格に守ろうとすると、バンコクのその辺で気軽に食事をするわけにはいかない。豚を食べないからと言って、スクムビット通りのアラブ人街に行くわけにはいかない。こうしたいきさつで、カオサンにイスラエル人コミュニティーができていったと想像している。

 イスラエル人専用の宿を、2007年のルアンパバンで見かけたことがある。宿のまえにヘブライ語で書いた大きな看板がかかったホテルだった。ならば、1980年代のカオサンにイスラエル人旅行者が集まる宿が出てきても不思議ではない。誤解のないように書いておくが、イスラエル人だけがカオサンに来たというのではないし、カオサン全域がイスラエル人地区になったわけではない。旅行者の大多数はユダヤ教ユダヤ人とは関係のない西洋人だ。ただ、1980年代あたりから、何軒かのゲストハウスにイスラエル人が集まり始め、イスラエル人経営の商店やおそらく旅行社もできただろう。イスラエル人旅行者が、カオサンのひとつの核になったと私は空想している。

 イスラエルには男女とも兵役があり、兵役を終えると、貯めた給料を持って国を出る。歓迎してくれる国は、タイだ。マレーシアやインドネシアイスラム教国だから、入国できない。 1980年代から90年代初めなら、ラオスカンボジアベトナムにもまだ行けない。ビーチでのんびり遊べる国もタイだけだ。そういう条件下で、イスラエルの若者が安い費用でしばらくのんびり過ごせるアジアの国は、タイしかない。こうして、バンコクのカオサン地区にイスラエル人が集まったというのが、私の仮説だ。

 カオサンは、イスラエル料理店や、イスラエル人経営の商店や宗教施設もあって、タイのユダヤ文化の中心地がカオサンだということが、Jewish Thailandに詳しい。Wikipediaの“History of the Jews in Thailand”を読んでも、タイにおけるユダヤ教の中心地がカオサンだとわかる。アマゾンで”Jews in Thailand”というペーパーバックを見つけたが、残念ながら「入手不可」になっている。

 やはり、カオサンはイスラエルと深い関係にあるのだとわかる。私の想像は単なる思いつきから始まったのだが、調べてみれば、カオサンとイスラエルには深い関係があることがわかる。ちなみに、1990年代に、日本の路上でコピー商品やアクセサリーを売っていた外国人は、イスラエル人が多いという噂はよく耳にしたし、私が実際に見かけた男たちはヘブライ語らしく言葉をしゃべっていた。彼らが扱っていた商品は、明らかにバンコク仕入れたものだった。

 カオサン研究者たちの論文に、東南アジアの現代史の基礎知識がないだけでなく、ユダヤコネクションの記述も見かけたことがない。カオサンをテーマに博士論文を書くような研究者なら、旅行者アンケートに精出すだけでなく、このくらいのことは調べておくべきでしょう。私の仮説が真実にどれだけ近いのか、もちろんわからないが、考察のヒントにはなるだろう。カオサンにたった1度行ったことがあるだけの私が、ネット情報を10分ほど調べただけでも、上に書いたようなことがわかるのだ。