1499話 あれから8か月 その1

 

 今年3月以来、初めて上京した。この8か月間に、電車に乗ったのは3分乗車の往復が1回、10分乗車の往復が1回、外食が1回、ブックオフに数回、それだけだ。食料などの買い出しにスーパーマーケットにはほぼ毎日行っていて、空が晴れ渡り気持ちがいい日なら、買い物ついでに1時間ほど自転車旅をすることもある。ブックオフにいくのも、本を買いに行くというよりも、運動のためという理由のほうが大きい。

 読みたい本はアマゾンで買ってあるが、古本屋街歩きがしたくなって、久しぶりに神保町に出かけた。

 昼飯は、去年から気に入っていて、私としては珍しく何度も通っている焼肉丼の店に行ったのだが、「閉店」の張り紙があった。ああ、時節柄! それじゃあ、先にディスク・ユニオンでジャズのCD漁りをしてから、遅い昼食にしようと思い出かけると、「営業時間の変更のお知らせ」の張り紙があり、12時開店になっている。15分の時間つぶしをするくらいなら、インド料理店に行ってみようと出かけると、カレー専門店に変わっていた。

 昼前のお茶の水駅周辺で、ふと思った。出版社めこんにご挨拶しておこうか。めこんの桑原さんとはメールでやり取りはしたが、3月以来顔を合わせていない。「毎日変わらず、元気に仕事をしています」というメールだったので、事務所にいるだろうと思いめこんに向かった。お互いの生存確認の意味もある。

 久しぶりという気はしないが、いままで毎月会っていた人に8か月も会っていないのだから、まあ「お久しぶり」なのであるが、「仕事のペースは変わってないよ」とのこと。「ラーメン屋だったら、とっくに廃業だろうけどね。よかった」と私。桑原さんに初めて会ったのは1977年か78年だから、もう40年以上前になるなと考えると、私はまだ20代なかばだから、「おお!」と声をあげたくなる。

 「ああ、ちょうどよかった。これ、出たばかりなんだ。読んでみてよ」と本をくれるのは、初めて会った時と変わらない。2020年秋に手渡された本は、『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019』(早瀬晋三)だ。早大教授の早瀬さんには会ったことはないが、その著書は何冊か読んでいる。フィリピン研究者として認識していたが、それはひと昔前の姿らしく、今は様々な分野に好奇心を広げているそうだ。

 帰宅する電車内で、すぐ読み始めた。スポーツ競技経験者でもスポーツ研究者でもない著者が、東南アジアのスポーツ大会から政治や社会やマスコミに視野を広げて見えてきたことを書いている。この本は、スポーツ大会を軸に、東南アジアの現代史を書いている。1967年のSEAP GAMES(東南アジア半島競技会)のヨット競技にタイ国王と長女ウボンラットが出場し、金メダルを得たという話も紹介されている。

 「あとがき」にこうある。

 「本書は、学問上『オリンピック』で金メダルを獲得することをめざしていない。これまで同様、あまり注目されてこなかった論点を取りあげ、議論の俎上にのせることが最初の目的で、議論の深化とともに「捨て石」になればいいと考えている」

 意識していなかったが、私も同じことを考えていた。音楽の専門家ではないし、タイの歴史学者でもないのに、タイの音楽の本を書いた。自動車の運転免許証も持っていないし、機械が大嫌いなのに、東南アジアの三輪車の本を書いた。東南アジアの食文化の本も書いたが、あのころは東南アジアの食文化に興味がある日本人はほとんどいなかった。今では信じられないだろうが、私が『バンコクの好奇心』(1990)を出すまで、1冊丸ごとバンコクについて書いた日本語の本はなかったのだ。だから、「あまり注目されてこなかった論点」を、その分野の素人があえて書くという態度に私と同じものを感じるのだ。専門家の学識を持って、金メダル級の著作を期待しても、いつまでたっても出版されないのだから、たとえ罵声を浴びるにしても、素人が捨て石的書物を書き残しておこうという態度だ。

 私はスポーツに対しても関心も知識もまったくないのだが、1964年の海外旅行自由化以前の社会事情を知りたくて、図書館に通って1960年代の新聞をマイクロフィルムで読んでいるときに、1962年のジャカルタアジア大会の混乱を知った。新聞記事もかなりの分量があったが、もっと知りたくて関係資料を読んだことがある。NHK大河ドラマ「いだてん」で、このアジア大会を取り上げたときに、「そうそう、そうなんだ」とうなずいた。スカルノ大統領が親中国と反イスラエル政策をスポーツ大会に持ちこんだ結果、IOCは「そういう政治的な大会を、IOCは認めない。参加国は除名する」と言い出した。1964年にオリンピック開催を控えている日本としては大慌てという大会だった。スポーツを「汗と涙の感動秘話」でしか語れないスポーツライターには、こういう政治的側面は見えてこない。見えていても、読者の好みを考えれば、やはり感動物語にせざるをえないのだろう。