1500話 あれから8か月 その2

 仕事の邪魔をしては申し訳ないとは思いつつも、桑原さんと1時間以上雑談をした。状況を正確に言えば、「雑談につきあってもらった」が正しい日本語だ。

 現在のタイの政治状況に関しては、ふたりともほとんど同じ感想だった。

・この先どうなるのか、まったく予想がつかない。過去には、軍が市民を虐殺したこともあり、未来がまるで見えないのだ。

・現王室に対して不満を感じている人はかなりいるが、王制廃止まで求めている人は少ない。だからもっとも安定的な解決法は、現国王が退位して、妹に王位を譲るという解決方法だろうというのが、私の考えで、桑原さんも「そうだね」。もちろん、これとて壁が低いわけではないし、政治問題の解決策ではないわけで、今よりは多少良くなる策というだけだから、泥沼状態は変わらない。

 1991年のクーデタに対して立ち上がった若者たちは、その後、大学生が多かっただけにエスタブリッシュメントの本流や傍流となり、いまの軍事政権下では保守勢力となった。「クーデタはタイ式民主主義だ」とか「都会のインテリと田舎の貧乏人が同じ1票の選挙権というのはおかしい」などと言い出す。民主主義を求める姿勢を崩さなかったのは、スラムから政治運動にかかわったプラティープさんくらいだった。だから、タイでは日本のようにもう政治運動は起きないのかと思っていたのだが、かつての若き政治運動家たちの子供の世代が立ち上がったので少々驚いている。そして、王制に言及したので、もっと驚いた。前国王の時代ならば、絶対に口にできなかった事だ。テレビニュースで、抗議集会のもようを見た。「あの人物を我々の国王だとは認めない」という発言があり、それは顔を隠したインタビューではなく、顔をさらした壇上の発言だったのでなおさら驚いたのだが、政府側の人たちにも、「まあ、そうだよな」という人は少なからずいると思う。だから、王室に対する発言に過激な取り締り、例えば袋叩きにして即時逮捕ということにはなっていないと思うが、この先はわからない。

 タイの政治状況に完全に失望していないのは、タイ政府の後ろに中国がいないからだ。この点で香港はもちろん、ラオスカンボジアとも違うというのが、私の感想で、ここから話題は「ラオスと中国」に移った。桑原さんは1960年代からラオスを見続けている。ラオスを旅すればすぐに気がつくのは、中国の支配が進んでいるということだ。目につく中国語表示は観光客相手ではなく、中国人労働者や駐在者たちのための表示だ。ラオスはアフリカのように、鉄道建設などに中国人労働者が関わり、資金は借款だ。つまり、ラオス人には何もしなくても、鉄道がプレゼントされたかのような錯覚に陥る。とりあえずは「返済」のことなど気にしていないのだが、いずれ完全に中国の支配下に入る。

 「そんな危険性がわかっていても、ラオスを鉄道のある国にしたいというのが官僚や政治家の気持ちじゃないかなあ」というのは桑原さんの意見。

 もう30年以上前からだと思うが、アジアに対する疑問を解説してもらい、考えるという会を毎月やっていて、桑原さんがその世話役をつとめてくれている。桑原さんが編集者という仕事上、第1級の研究者やジャーナリストたちと交流があるので、その時にふさわしい人物に講師を依頼し、2時間ほど講義をしてもらう。そういう研究会を前世紀からやっている。私も、日本にいる限り出席するようにしている。どの会も、知識の幅と深さを与えてくれる。例えば東南アジアの三輪車の本を書こうとしていたときは、会の前後に様々な国の専門に取材させてもらい、資料を翻訳してもらったこともある。異分野の研究者をつなぐ場でもある。

 私にはライターの知り合いはほとんどいないが、特派員経験のある新聞記者や研究者の知り合いがいるのは、桑原さんが世話役をやってくれているこの勉強会のおかげなのだが、今は開催できる状況にない。だから、この8か月、桑原さんに会っていなかったというわけだ。