1502話 あれから8か月 その4

 

 めこんのオフィスを出て、御茶ノ水駅に至る坂を下りて、東京医科歯科大学病院前を歩き、中央線にかかるお茶の水橋を越えて、神保町に向かう。左手に見えるお茶の水駅はここ何年もずっと工事中だ。明大通りを歩けば、ディスク・ユニオンのジャズ専門店「Jazz TOKYO」に必ず寄る。この店の楽しみのひとつは、いくつもの段ボール箱にはいっているバーゲン商品だ。安いのはもちろんありがたいのだが、私がまったく知らないCDも数多くあるから、「へえ、こういうのもあったんだ」と発見するうれしさもある。基本はジャズなのだが、少しはロックもまぎれていることもあって、BST(BTSじゃないですよ、念のため)などがあると、「1度はちゃんと聞いてみるかな」などと思う。BST、CSN&Y、S&G、EWF、ELPなどの意味がすぐに理解できる人は、もう年金受給者だろうな。

 ところがきょうは、バーゲン商品がまったく置いてない。ゼロだ。CDの棚は楽器別でミュージシャンのABC順だから、ピンポイント捜索になるのだが、バーゲン品は何が出てくるかわからない楽しみがある。それがないのは、もしかすると混雑緩和のために、客寄せのバーゲンCDを置かないことにしたのだろうか。

 気になるミュージシャンのCDをチェックして、関心度と価格を天秤にかけ、熟考する。いままでジャズギターをあまり聞いてこなかったのだが、視界を広げる意味でも、「よし、ちょっと聞いてみようか」という気になってきた。まず、ジャズギターのコンピレーション(寄せ集め)アルバムを聞いて、気になるギタリストを選んだ。目下、ユーチューブでよく聞いているのは、ケニー・バレル”moon and sand”だ。ユーチューブなら、いつでもタダで聞くことができるのだが、ウチのステレオで聞いてみたいとアマゾンで調べると、そのCDは1万円だ。

 アマゾンとほぼ同じ値段だから、送料分が安いかと思ってこの店で買ったのが、ケニー・バレルの“all day long/all night long”だ。トランペットはドナルド・バードだが、彼のCDも多く持っていて重複するかもしれないかと思ったが、「えい、やっ」と買ってしまった。この原稿を書いている今調べたら、重複はない。よかったのだが、ドナルド・バードのボックスセットを2セット買っているという失態は痛い。

 中古CD屋に行くと、高校の同窓会に来たようで、別の言い方をすれば老人会のあとの暇つぶしに来たような人ばかりだ。比較的若い人がいるのがレコード店だ。ラジオで、大学生が「CDって、まだ見たことないんです」と言っていて、若いアナウンサーは「わたし、CDを買ったこと、1度もないんです」と言っていたから、当然MDもカセットテープも知らないのだろう。私のようにせっせとCDを買い込むのは音楽ファンの老人趣味になっている。

 Jazz TOKYOに長居すると、ついつい買いすぎるので、ブレーキをかける。つい先日も、床に積んだCDをまとめるために整理ダンスを買ったばかりだから、買いすぎには注意だ・・と思いつつ、アマゾンから続々と商品が届く。イギリスから送ってくるはずのCDは、到着日を過ぎても届かないので発送先に問い合わせると、「コロナ禍ですので、遅れています。到着予定日から1~2週間たってもまだ届かないようでしたら、ご連絡ください」という返事が返ってきた。もう10日たったが、急がないから、まあいいんだけどね。注文してから、そろそろひと月たつ(注文からひと月たった今日、到着した。Duke Pearsonだ)。

 三省堂に至る明大通りの坂を下りきると、角の小諸そばが閉店しているのに気がついた。あれは4~5年前の猛暑の昼だった。井之頭五郎のように空腹だったが、とりあえずは何か冷たいものを腹に入れて置きたくなった。ふと、冷水に輝くざるそばが頭に浮かび、目の前に小諸そばがあり、ついついふらふらと店に入り、「立ち食いそば」のそばはまずいに決まっているとは思ったものの、暑さにやられた頭では、とにかく「冷たい食い物を」という気持ちで、自動販売機の「さる 320円」のボタンを押していた。

 ざるそばは、予想に反してそれほどまずくはなかった。「立ち食いそば屋のそばはまずい」というのは昔の話だという気がして、その後富士そばで「もりそば 310円」を食べてみると、まったく期待をしていなかったせいか、とびきりうまいと感じた。注文を受けると、そばを絞り出すのだ。手打ちそばのように切るのではなく、冷麺のように押し出すのだが、うまくて安かった。年々少食になっていく私には、真夏の昼はざるそば程度がちょうどいい。

 今年、三省堂前の小諸そばで冷たいざるそばという夏はなかった。