1507話 あれから8か月 その9

 

 大回りになるが、買い出しをしてから帰宅することにした。千代田線で新御茶ノ水から西日暮里、山手線に乗り換えて新大久保。今年初めての新大久保だ。ホームから階段を下りて改札口に向かうと、改装して明るくなっているのに気がつく。この改札口は、ひと昔前までは、少ない利用客数には相応の小さな改札口だったが、十数年ほど前からか、利用客が一気に増え、韓国ブーム以後改札口前後で待ち合わせをする人も多く、薄暗い構内で肩が触れ合うほどに混雑していた。それが改装工事で明るくなり、改札口も少し増えた。しかし、利用客数に追い付かない。

 ここは、なんだよ、この人出は。閑散とした神保町の後だから、そう言いたくなった。去年の秋と、まったく変わらない。改札の外では、待ち人を探す人であふれている。新大久保駅の改札を出て、左に行けば中国食品街、道を渡って進むとインド亜大陸イスラム食品街だが、今日は時間がないので改札を出て右に折れて、韓国食品街に向かう。歩道に、人があふれている。数年前との違いをあえて探すと、いかにも韓流ドラマファンのおばちゃんが誘い合って上京しましたという感じ(カートを引いている)の中年女性の姿は見かけず、ざっと眺めて90パーセントは22歳以下の女性に見える。マスクをしているから、観察は実にいい加減だが、服装などから判断しても、30歳以上はほとんどいないように見える。男は、数パーセントだろう。どの程度の混雑かといえば、両手を広げれば、1秒後には誰かとぶつかるという程度の混雑だ。新大久保には新型コロナウィルスの感染などなかったかのようだ。「感染しても、若いと重症化しないから、平気、平気」という若者が集まってきているのかもしれない。事情通に聞くと、アイドルグッズと化粧品を買う客が多いので、飲食店の客単価は低くなっているという。つまり、新大久保は竹下通り化したということだ。

 今思い出したのだが、新大久保がまだ韓国人街になる前、タイ料理店が数軒あった頃、蔵前様御一行十数人を百人町屋台村に案内したことがあった。アジア料理のフードコートで、あそこだけが東南アジアだった。蔵前さんが自動車運転免許証を取ったころだが、20年以上前になるのだろうか。いっしょに食事をした人たちの中に蔵前さんと妻の小川京子さんがいたのはもちろん覚えているが、ほかに誰がいたのか記憶にないが、私が知っている人はほとんどいなかったような気がする。失礼があってはいけないので、もしこの文章を読んでいたら名乗り出てください。この百人町屋台村にはしばしば友人たちを案内したが、2011年に閉店した。

 20年以上前から、年に数回くらいはこの街に来ている。考えてみれば、この街にくるのに新大久保駅で降りるようになったのはこの10年くらいで、それまでは新宿で友人と会い、「何か食べに行こうか」となったときに、新大久保まで歩いた。私には「新宿とその周辺のアジア化」をテーマにした街散歩だった。タイの食材屋とか韓国人ホステス専用だと思われる美容院やタイの音楽テープ店などが姿を見せていた。

 そういえば、大阪在住のタイ研究者赤木攻さん(当時、大阪外国語大学)も、このルートで新大久保を案内した。赤木さんとの出会いも、いつものようにめこんの桑原さんが介している。

 そのころは、フィリピンやタイの女性が路上で客引きをしていた時代で、営業している路地が国籍で分かれていて、噂によればフィリピン人やイラン人がヤクザの下働きをしていたという。ヤクザ業界も人出不足で、外国人労働者を使っていたというわけだ。路上でおしゃべりを楽しんでいるタイ人の声が赤木さんの耳に入り、誘われるようにおしゃべりの輪に加わり、談笑が続いた。「ぼくを、中国系タイ人だと思ったらしい。新宿って、おもしろいところですねえ」と笑っていたことを思い出した。赤木さんを案内したのも、百人町屋台村だった。