若者から「若い」と思われたい中高年は、思い出話をしないらしい。若者が思い出話を苦手なのは当然で、語るような過去が自分にはほとんどないからだ。中高年はそういう若者に迎合して、過去を語らない。親が若かった頃のことをよく知っている子供はそれほどいないだろうし、就職した若者が、その会社や業界の過去に深い興味を持つということもあまりないような気がする。NHKの大河ドラマ好きとか歴史小説好きという人はいても、自分の家族3代くらいが生きてきたこの50年や100年の歴史に興味がある人は少ないのではないかという気がしている。
韓国人に「日本人は歴史を知らない」と批判されることが多い。それは事実で、日韓の近現代史について大学生が討論しても、知識量では日本人は勝てない。韓国の愛国教育をきっちりと批判できるだけの歴史知識のある日本の大学生(もちろん歴史を専攻していない大学生たちの話だが)は、どれだけいるだろうか。
このコラムで、「日本人の歴史認識」といった話を展開しようとしているのではなく、現代史はおもしろいという話をしたいのだ。私は歴史ファンではないから、正面切った歴史書を買うことはないが、必要に応じて歴史を学ぶ。
例えば、『東南アジアの三輪車』を書くために、歴史の本を読み漁ってアジアの都市交通史年表を作った。日本人の戦後海外旅行史を追った『異国憧憬』を書くときには、旅行史と並行して、日本映画史や放送史や出版史や食文化史といった年表を作った。その当時導入したワープロ専用機は事項の入れ替えが自由なので、年表作りには便利だった。さまざまな資料を読んでいて気がついた事項はすぐさま年表に書き込めるのがいい。こうして、年表だけで単行本1冊分くらいの分量になったのだが、フロッピーディスクに保存してあったので、取り出せないまま処分してしまった。
このように、何かを知りたいときは現代史の資料を読む。タイの雑話でもチェコの現代史でも同じことで、できるだけ多くの資料を集めて年表にしてから考える。だから私のパソコンには「バンコクのホテル創業年表」があるし、日本のタイ料理店年表は、デジタル化していないが、紙の資料のまま保管している。
ある事柄を考えるには、推移が重要で、年表作りなどは基礎中の基礎だと思うのだが、どうやら私は変わり者らしい。一部の学者やノンフィクションライターや小説家は、書こうとするテーマの詳しい年表を作るらしいのだが、例えば私のように海外旅行年表を作って、日本人の海外旅行の推移を調べてみようと思う人は学者でもほとんどいないようだ。A4サイズの紙1枚にプリントアウトできる程度の資料があれば歴史に関しては充分らしい。
私がさまざまな年表を作ることができたのは、細かいことも書き残してくれた人がいたからで、それは当時の出版物だけではなく、のちの時代に「思い出話」として書き残してくれた資料もある。
初めて海外旅行をしてからそろそろ50年になる。だから、私が知らない時代の話や、知らない場所の話を書き残してくれた先達からのバトンを、私も次の世代に伝えていく「お年頃」になったようだ。ここ数十回分のアジア雑語林で、『食べ歩くインド』や『失われた旅を求めて』や「あれから8か月」で書いてきた裏テーマは、過去の話だ。意識して、昔話を書いた。そういう昔話を「おもしろい」と思う若者は1万人にひとりいるかどうかわからないが、記録に残しておけば、あとはどうにかなる。デジタル資料はいずれ消えるから、出版しておこうというのが、『失われた旅を求めて』を出した蔵前さんの考えだったのかもしれない。2000年頃のインドなんか、蔵前さんにとって「ほんの、ちょっと前」のことだろうが、その当時の思い出を語る人はもう40歳を超えているだろう。20年前のインドは、若者にとっては「昔のインド話」だろうが、還暦を超えた旅行者にとっては「ちょっと前のインド話」にすぎない。だから、40を過ぎた人も知らない「過去」を書き残すことで、旅行事情の流れを知っておいてほしいと、私は思うのである。インドの旅行事情に関しては、名著『つい昨日のインド 1968~1988』(渡辺建夫、木犀社、2004)のような本があるのだが、ほかの国についても出版されればいいのだが、と思っている。