私に社交性はないし、宴会などにはほとんど縁がないのだが、それでも私の知らない世界を生きてきた人たちとたまたま雑談するような機会はある。年齢が違い、業種が違っても、私には「知りたがり」という好奇心はあるので、いろいろな話を聞くのが楽しい。
50代のころだったが、私とほぼ同世代のサラリーマンたちと雑談することがあった。たまたま私がパソコンを始めたころだったので、話題がパソコンになった。これなら業種が違っても共通した話題になる。それで気がついたのだが、私とほぼ同世代のサラリーマンたちは、仕事でパソコンを使わなければならなくなった当時最高齢の世代らしいということだ。
つまり、こういうことだ。大卒なら、1970年代後半に就職したサラリーマンが入社当初に使っていた事務機器は、プッシュボタンになった電話と電卓とコピー機くらいだろう。ワープロ専用機もファックスもまだない。ポケベルは営業が始まったばかりだ。その当時でも、大きな会社にはコンピューターはあった。1970年代の末、私は朝日新聞社で編集の手伝いのようなことをしていたのだが、社内には「電算室」というものがあり、「コンピューターは熱に弱いから、冷房がガンガンに効いているんだよ」という社員の話は覚えているが、もちろん私ごときがその部屋に入ることはなかった。コンピューターはテレックス同様、特別は技術者が扱っているものだったのである。
職場にパソコンが姿を見せる時期は、業種や会社の規模によっても大きく違うのだが、だいたい1990年代だろう。普通の文系社員が、仕事でパソコンを使わなければいけなくなったのだ。40代なかば以下の社員は、必須である。それ以上の年代の管理職は、「ちょっと、キミ、報告書を作っておいてくれ」と指示しておいたり、「明日の昼飯おごるから、ちょっと頼む」などといって、パソコンに触らずにサラリーマン生活を過ごし、やがて定年を迎えた。40代なかば以下の社員は、パソコンの参考書を買ってきて独習するか、休日や夜間にパソコン教室に通って、なんとか使えるようになったそうだ。
「それなのに、新入社員が楽々とパソコンを使いこなしていると、『コノヤロー!』という気分だったんじゃないですか?」と聞くと、「とんでもない」という。
「あの時代、パソコンは大学生が買えるような値段じゃありませんよ。だから、コンピューターのことなど何も知らない新入社員に、我々が教えてあげたんです」
そういえば、思い出した。天下のクラマエ師こと蔵前仁一さんが旅行雑誌「遊星通信」を創刊するのは1988年だが、直接のきっかけはパソコンさえあれば自分で雑誌が編集できる時代になったとわかったからだ。今や旅行人伝説になった話だが、そのときのパソコンは妻が持っていたホンダ車を売っぱらって購入したのである。
パソコンの値段といっても、そのスペックによって大きく変わるのだが、その「平均価格」を表した資料がある。この資料やほかの資料を見ても、1990年から始まっている。旅行人の1988年というのは先史時代ということだ。伊集院光は、秋葉原に行って部品を買い集めてパソコンを自作していたらしい。
ネットの資料によれば、1990年代前半のパソコン平均価格は30万円弱というところらしい。1975年入社組の20年後の1995年は、Windows95の発売である。1998年iMacが発売され、女性の人気を集める。17万8000円という価格は、会社員がボーナスで買える金額だが、大学生がアルバイトをして買うには、まだ高い。
2000年代に入れば、大学生がパソコンで文章を綴れるのは当たり前だが、それ以上の能力は個人差があるという状態らしい。私は2000年代に入ってすぐに大学の講師になった。毎年学生のリポートを読んできた経験で言えば、リポートの書式条件を「2000字程度、縦書き横書き、手書き、ワープロ自由」としたが、手書きはほんの数本あっただけだ。毎年200本ほどレポートがあったから、十数年間に全部で3000本ほどのレポートを受け取ったことになるが、手書きは数本だけだったということだ。ところが・・・という話を次回。