渡辺謙主演のテレビ朝日のドラマ「逃亡者」は、あまりドラマを見ない私が言うのは変かもしれないが、前代未聞、空前絶後の駄作愚作だった。世間の多数派には入らないことが多い私だが、ネット情報を見る限り、このドラマに関しては、私と同じ感想だった人が少なからずいたとわかる。
あまりにも不出来なので、「どこが悪い」などといちいち書き出せば、批評は長編になる。「西部警察」と同じくらいの「お話なんだから、何をやったっていいじゃない、おもしろければ」と割り切れる人以外、「なんだよ、やたらに拳銃を出しやがって! アメリカじゃねえぞ」となるはずだ。
あまたある突っ込みどころのなかで、ここでは電話のことだけを書いておきたい。ドラマの主人公は医者で、妻と家政婦の殺したという無実の罪で死刑を言い渡され、服役3年後に移送中に事件が起こり、脱走した。問題は次のシーンだ。裁判のときにかかわった弁護士事務所に、他人ケータイから電話をするのだ。これがおかしいことは、私でもわかる。4年前の裁判でかかわった弁護士の電話番号を暗記していたのか? ほかの人に電話をするシーンもあるのだが、電話番号を暗記していたというのか。
このシーンで思い出したのが、2011年の市原隼人主演のTBSドラマ「ランナウェイ」だ。無実の罪(!)で刑務所に入っている男が脱獄する。刑務所近くの民家に忍び込み、服やカネを探す。うまい具合に住民は留守で、しかも、なんという偶然か、テーブルにケータイが置いてあり、まことに幸運にも、使える状態にある。男はすぐさま電話をかける。ここだけでなく、公衆電話などからも、電話するシーンがある。
「ランナウェイ」というドラマの電話のシーンはおかしいという話は、このアジア雑語林(2011-11-06)ですでに書いた。あれから9年たって、また同じことを書くようになるとは、ドラマ制作者の頭脳がどうなっているのか。
ケータイ以前の時代なら、友人や家族や仕事関係の電話番号をいくつも暗記している人はいくらでもいたが、今の時代に、スマホをなくしたので、知らない人から電話を借りて友人に電話するなんてことができるか? 昔なら、電話番号を手帳に書いておくというのは常識だったが、今は手帳がスマホだろう。この2本の逃亡ドラマが、1980年代の設定なら、まだわかる。しかし、現代のドラマでは、それは無理だ。
「逃亡者」に関しては、ハリソン・フォードの映画版も、それほどの出来ではなかった。傑作はなんといっても、連続テレビドラマ版だ。数年前だったか、再放送をやっていることに気がついて、1回分だけ見たが、やはり、うまい作りだ。逃亡者でありながら、病人やけが人に出会うと、医者の良心から逃亡を中断して手当てをしてしまう。逃亡者と医者という葛藤がある。出会った人に、自分が逃亡者だとわかってしまうかどうかというサスペンスがうまく作ってあった。テレビ朝日版ドラマは、時代の変化をうまく描き切れなかったのだが、その責任は、アクションドラマにしてしまったプロデューサーにある。役者が気の毒な作品だった。
「偶然にも・・・」だけで構築されているドラマを、私は楽しめない。SFであれ、ファンタジーであれ、決められた設定の範囲内で動くから緊張が生まれるのだ。