1534話 本の話 第18回

 

 韓国の本 その4

 

 『実物大の朝鮮・韓国報道50年』の前半は、1960年代に韓国を支えたが、表立って語られることのない人たちの話だ。

 1969年当時、韓国に駐屯する米兵は6万5000人ほどいた。その相手をする米兵専用売春婦、俗に「洋公主」(西洋人を相手にする姫)と呼ばれる女性が3万人ほどいたらしい。彼女らは、政府からの営業許可証を取得して仕事をしていた。基地周辺で営業する「公認国連軍クラブ」は、政府に毎月500ドルを上納することになっていた。1969年の京郷新聞によれば、政府の許可証を持っている洋公主は1万3000人いて(ということは、モグリが1万7000人ほどいたことになる)、月に60~70ドル稼いでいたという。米兵との間に生まれた子供は、韓国語で「アイノコ」と呼ばれた。血統を重んじる韓国社会では、そういう異分子は不要だから、「養子」という形で順次国外に輸出された。そこでまたドルを稼いだ。

 男はベトナムに行き、ベトナム人を殺すことで外貨を得た。表向きは、朝鮮戦争で韓国を守ってくれた米軍に対する礼として、ベトナム戦争に参戦するとしているが、実際に、戦争でカネを稼ごうとしたのだ。男や女が稼いだ外貨は、政治家や役人に吸い取られ、あるいは財閥に流れた。

 ベトナム戦争が終わると、韓国から米兵の多くが去った。カネづるを失った洋公主たちが見つけた新たなカモが、妓生パーティーにウツツを抜かす日本人である。米兵相手にはひと晩10ドルだったが、日本人相手だと83ドルだったという。1ドルが300円の時代だから、83ドルは2万5000円である。この構造は、タイでも同じだった。

 『変わらないから面白い日韓の常識』(前川惠司、祥伝社新書、2013)には、1963年から77年まで、西ドイツに鉱夫として渡った若者は6000人、看護婦は1万人送られたという話が紹介されている。この話は、以前に韓国のテレビを見て知っていたのだが、次の事実は知らなかった。西ドイツに韓国人労働者が来る前、1958年から日本人が「技術を学ぶ研修生」という名目で鉱夫をしていた。日本で働く倍の収入だったが、実際は過酷な単純労働だったので、日本からの派遣は436人で停止した。それが1963年で、日本人に代って韓国人労働者が「輸入された」というわけだ。

 『実物大の朝鮮・韓国報道50年』の前半は、このようにあまり語られなかった話、韓国人が語りたくなかった歴史の話が続く。後半は政局裏話のようなもので、あまり面白くなかった。

 生活に密着した話では、ソウルの銭湯の浴槽が、大阪と同じよういに、壁から半島型につき出していると指摘に驚いた。日本の銭湯は入口奥の壁際に設置された東京型浴槽と、壁から離れた島型の大阪型があることは、『くらべる東西』で知っていたが、大阪型がソウル型と同じであるという指摘は興味深い。やはり、大阪は韓国と深く結びついているのだ。『くらべる東西』は表紙がその浴槽比較の写真だ。内容は実に愉快で、古書は安いので、買うといい。

 

またしても、訃報だ。東北大学の山田仁史さんが亡くなった。若き天才と呼びたくなる俊英であると同時に、おだやかな人柄でまわりの人を包み込んだ。まだ、49歳の生涯。十数年前からいろいろ教えていただいていた。山田さんに紹介していただいた『黄昏のトクガワ・ジャパン―シーボルト父子の見た日本』は、このアジア雑語林でもたびたび取り上げている。シーボルトはオランダ人を偽装してまで、なぜ日本に来たのか。そして、彼の子供たちはどう生きたのかという話だ。昨年3月に会ったのが最後で、そのときも「おもしろいですよ、傑作です」と本を紹介してくれたのだが、大部の学術書なので、まだ手を付けていなかった。