1540話 本の話 第24回

 

 『ポケット版 台湾グルメ350品! 食べ歩き事典』(光瀬憲子) その4

 

 引き続き、この本で紹介している料理に関するコメントを書いていく。

胡椒餅(フージャオピン、胡椒味の肉入り焼きまんじゅう)・・・台北駅とその南の二二八和平公園との間は本屋街でもあるのでよく散歩した。そこの路地で、この焼餅(シャオピン)を見つけた。インドなどでナンなどを焼く窯が店頭にあり、のぞき込むと餅(ピン)を焼いていた。餅といっても日本のモチとは違い、肉まんのような小麦粉製品だ。私の大好物なので、後先を考えずに買ってしまった。「後先」というのは、その日はかなりの雨が降っていて、左手に傘をさしている。右手には買ったばかりの本が入った袋を下げていたのだが、胡椒餅を受け取るために、袋の取っ手を腕に通した。小さな紙袋に入れてくれた胡椒餅は強烈に熱く、その辺ですぐさま食べようとしたのだが、ふさわしい場所がない。ヨーロッパなら、小さな街角公園があるのだが、台北はアジアの街だから、街角公園は少ない。台北駅前に広場はあるのだが、雨宿りできる軒が見つからず、「ええい、歩きながら食ってやれ!」とガブリと口に入れたのだが、なかの肉は表面よりももっと熱く、悶絶した。この本の「胡椒餅」という文字で、旧正月ころの寒くどんよりした空の台北を思い出した。

 こうやって、あの日のことを書いていて、「地下街に逃げ込めばよかったじゃないか」と今頃気がついた。

油條(ヨウテャオ、塩風味の揚げパン)・・・若いころ、銀座の中国料理店でコック見習いをやった。下働きだから、店で技術を積み重ね、中国料理の教養は本で学んだ。中国語は台湾人の大学院生に基礎を教わり、あとはちょっと独習した。将来を考えてやったことではないが、あの時代の知識が、のちに東南アジアの食文化研究に大いに役立った。タイの路上でいくらでも見かけるパートンコーという揚げパンは、大きさこそ違うが、油條そのものだった。屋台の調理台にある赤い調味料が南乳だということもすぐにわかった。豆腐の発酵調味料だ。コック見習い時代は、私にとって食文化研究の大学だったのかもしれない。

臭豆腐(ツォウドウフ、揚げ/煮込み発酵豆腐)・・・名は実態を表す。とてつもなく、臭い料理で、夜市(夜の屋台街)を歩いていても、「あっ、近づいちゃいけない」という信号を感じる。私にとっては、とてつもない悪臭である。悪いことに、もっと臭そうな名前の料理がある。どうだ、文句があるか! という料理名は「大腸臭臭鍋」(ダーチャンツォウツォウグォ)だ。豚の大腸は、日本で白モツと呼んでいるもののはずで、ていねいに処理すれば、出来上がった料理が臭いということはない。しかし、臭い大腸と臭豆腐の鍋ということは、このアジア雑語林でちょっと前に書いた「内容物入り腸」なのか? 内容物はなくても、きちんと処理していないということなら、それは手抜きではなく、その臭気をスパイスやハーブのように好んで用いているということなのか。謎の多い料理だ。

 この料理をもう少し知りたくなって、ネット検索した。そこで、濱屋さんと再会した。ブログ「濱屋方子の台湾日記」だ。濱屋さんは高校教師を退職後、2003年から台湾で日本語教師をやりながら、ブログを書いていた。台湾のことを調べていてこのブログに出会い、その好奇心と知識の深さに感動し、ブログにコメントを書くようになり、メールのやり取りをするようになった。帰国したときは横浜で食事と雑談を楽しんだ。「今度は、台湾でお会いしましょう。学食に案内してください」と話していたのだが、2016年にあっけなく亡くなった。台湾にとっても日本にとっても、まことに惜しい人を亡くした。幸運にも、まだブログを読むことができる。いずれ消えるブログだろうから、世の編集者の方々、濱屋さんの文章を単行本にして残していただきたいと切に願う。私が出会った台湾のブログのなかで、もっとも素晴らしいものだった。食べた料理の写真をブログなどに載せる人はいくらでもいるが、疑問や解説を書く人は少ない。台湾のトイレットペーパーは、本当に水に溶けないのかという実験をやる好奇心のある方だった。

 惜別。

 

香港の生タマゴのニュースがいくつも報告されているが、少々異論がある。まず、「香港人は生卵を食べない」というのは間違い。もう数十年前だが、香港の路上で鍋物を注文したら、すき焼きのように生タマゴが小鉢に入っていて驚いた。食文化研究者の何人かは、この「香港の生タマゴ」の話を伝えている。そして、もうひとつ。香港で日本のタマゴがよく売れるようになったのは、タマゴかけご飯にするためではなく、すき焼きのように食べるためではないかと想像している。動画ではメレンゲを飯に乗せ、黄身をその上にのせている店が紹介されているが、そんな面倒くさいことを各家庭でやるわけはない。