考古学の本から その1
先に紹介した『おにぎりの文化史』の参考文献に、『食の考古学』(佐原真、東京大学出版会、1996)が出ていた。一部は食文化研究誌「VESTA」で読んでいるが覚えていないので、この際に読んでみようと思った。佐原さんの講演は小さな会で何度か聞いているが、言葉を交わしたことはない。
あの時代、佐賀の吉野ヶ里(よしのがり)遺跡や青森の三内丸山(さんないまるやま)遺跡の発掘によって、それまでの「事実」が塗り替えられていた。そういう時代の流れを受けて、佐原さんは「明日をも知らぬ考古学」というセリフをよく口にしていた。考古学に光が当たった時代に、佐原さんのわかりやすい口調・文章が世に受け入れられ、千葉・佐倉の国立歴史民俗博物館の副館長になったのが1993年、館長になったのが1997年(2001年退任)。この本が出た1990年代後半に、私は佐原さんの本を何冊か読み、講演を聞いていたというわけだ。
以下、『食の考古学』を読んでいく。いつものように、読んで思い出したこと、考えたこと、調べたことなどを徒然なるままに書いていく。
まえがき部分・・肉食。
江戸の街を発掘すると、バラバラの状態の犬の骨がたくさん見つかるそうだ。犬は弥生時代でも江戸時代になっても、食用だったという証拠が地中にある。国立文化財研究所埋蔵文化財センターで、佐原さんの後輩にあたる松井章さんが、「武家屋敷の発掘をしたら、馬の骨が出てくるというのは珍しくなく、骨に多くの傷がついているから、食べたのは明らかです」という話をしてくれた。そういえば、そのころに何度か会っていろいろ教えていただいた青木直己さんの『幕末単身赴任 下級武士の食日記』(NHK生活人新書、のちにちくま文庫)には、品川かどっかで肉を買い、藩邸に戻ってみんなで肉を食べるという記述が日記にあった。幕末の江戸では、武士が店で肉を買い、料理して食べていたことがわかる。
犬を食べる話は、山田仁史さんの『いかもの喰いー犬・土・人の食の信仰』(亜紀書房、2017)に詳しいが、山田さんとは土を食べる人たちの話をしたことを覚えている。世界には、嗜好品として土を食べる人たちがいて、タイにもそういう人がいてね、などと話をした。
「日本人は明治になるまで肉は食べなかった」と信じきっている人が少なからずいるが、イノシシやクマがいる山村はもちろん、江戸でも肉を食べていいたという事実はいくらでもでてくる。だが、意外にもニワトリはあまり食べていなかったという話は、次回に。
佐原さんは2002年に、松井さんは2015年に、山田さんは今年2021年に亡くなった。佐原さんが亡くなったのは、今の私とほぼ同い年、松井さんは私と同じ年の生まれ、山田さんに至ってはまだ50前だった。
P9・・・「血食については『騎馬民族は来なかった』であつかったので、ここでは割愛する」
血食、つまり血を食用にするという話は、このアジア雑語林で何度も書いているのだが、佐原さんが血食について書いていたのを知らなかった。じつは『騎馬民族は来なかった』を読んだ記憶ははっきりあるが、その内容を覚えていない。だから「知らなかった」ではなく「忘れた」が正しい。その本が自宅の目に付くところにあるとは思えないので、すぐさまアマゾン。
P17・・・料理。
「料理」という語は古い中国語で、「計測する」という意味で、日本語での意味とは違う。中国では消えて、日本では別の意味で使っているという説を紹介している。私もそう思っていたのだが、台湾は違っていた。おそらく日本語の影響なのだろうが、日本料理は「日本菜」ではなく、「日本料理」という看板を掲げている店を見たのはだいぶ前で、いまインターネットの中国語版を調べると、wikipediaでも百度百科でも、「料理」が見出し語にもなっている。「日本料理」がひとまとめの単語のようだ。