1548話 本の話 第32回

 

 考古学の本から その3

 

 注文していた『騎馬民族は来なかった』(佐原真、NHKブックス、1993年)が届いた。この本を含めて佐原さんの本は数冊読んでいるはずだが、記憶がほとんどない。ただ、江上波夫が唱えた「騎馬民族征服王朝説」の反論として、日本に家畜の去勢と宦官がないから、騎馬民族が日本を征服した歴史はないと佐原さんが述べたことは覚えていた。考古学者が動物学を学んだのは、「家畜と日本人」というテーマを考えたからだ。

 第3章で、ヨーロッパ人は狩猟民とか牧畜民と言い、日本人は農耕民だという設定で話を進める人が多く、江上波夫もそのひとりだが、この説は不正確で無責任だと述べている。私も佐原さんと同じ意見だったので、「そうですよね」と言いたくなった。西洋人だって、農耕をしているから食料を得ている。狩猟や牧畜だけで生きてきたわけじゃない。日本人は農耕民と考えるのは、柳田国男のように、田んぼからしか日本を見ていないような気がする。網野善彦風にいえば、農民ではなく百姓の世界だ。百姓というのは、いくつもの仕事をしている人のことで、田畑を耕すだけでなく、漁もすれば猟もする。牛や馬を飼う。鍛冶屋もやる。山で木の実やキノコを集める。大工もやれば竹細工もやる。井戸も掘る。漆職人であり、生糸の生産者でもある。芸人にもなり、霊能者にもなる。ありとあらゆる仕事をするのが百姓である。だから、「日本人はコメを作ってきた人たちのこと」と限定するのは、不正確だ。コメは重要な作物ではあっても、稲作だけで生きてきた日本人は、多分いない。この世界を、牧畜民と農耕民に二分して比較考察するのは無理がある。

 話がやや横道にそれた。この本を買った理由は、血食の述べた部分を読みたかったからだ。記述は、わずか6ページ分しかない。

 「世界ではユダヤ教徒が神聖ゆえに血を口にしないことを除けばどこでも血を食べます」とあるから、「イスラム教徒を忘れているじゃないか」と余白に書き込んだ。2ページあとに、「畜産民にとっては、ユダヤ教徒イスラム教徒を除けば、血を口にするのはごく自然なことです」と書いている。

 佐原説は、家畜を食用にしている人たちは、ユダヤ教徒イスラム教徒を除いて、血を食料と考えているというのだが、インド亜大陸と東南アジアが抜けている。ネパールは血も食料だと考えているが、インドでは血は口にしない地域が多い。パキスタンバングラデシュイスラム教徒が多いが、仏教徒が多いスリランカでも、多分、普通は血を料理に使わないのではないか。東南アジアでは、イスラム教徒が多いマレーシアやインドネシアでは、中国系や少数民族を除くと、血の料理はほとんど食べないようだ。タイやベトナムは、中国の食文化の影響で、血の料理を食べるのだろうか。このあたりのことは調べたことがないので、わからない。

 韓国の例も含めて、血食については、1461話ですでに書いた。『騎馬民族は来なかった』を読んでも血食に関する新たな情報は得られなかったが。考古学のことをもう少し知りたくて、佐原さんの本をまたアマゾンした。