『ウンコはどこから来て、どこへ行くのか』(湯澤規子、ちくま新書、2020)をめぐって その1
やっとこの本のことが書ける。昨年10月に出て、すぐ読んだ。このコラムの年末年始の年またぎで「ウンコ」の話はふさわしくないかと思っている間に食べる話を一応終えて、今度は出す話にやっと入れる。
外出を控える昨今だから、この新書もネット書店で買った。ということは、内容をよく知らずに買ったということだ。
気になる点がいくつかあって、高い評価にはならなかった。
まずは、このタイトルだ。「ウンコ」をタイトルにいれれば話題を呼んで注目を浴びるだろうという思惑がミエミエで、うんざりした。藤原辰史(京都大学)氏が「ちくまweb」に書評を書いている。著者と研究仲間らしいし、版元の広報ページだから、紹介と賛辞になるのだが、ただ1点難色を示したのが、この部分だ。
「人間の排泄物を意味する幼児語を専門語のごとく頻発させ」ることに、「若干の戸惑いがなかったかと言えば、それは嘘になる」
私の「うんざり」を理論的な面で説明すると、この本で扱うのは糞尿なのに、書名どおり「ウンコ」を連発することで、オシッコの立場はどうなるという問題だ。ウンコの本だと宣言すると、尿を除外しているようで、じつはそうではないが無理やり「ウンコ」という語を使うという、ややこしい文章になっている。芸人の世界でいえば、ややこしい設定キャラで登場すると、あとの番組進行が苦しくなるというようなもので、「コリン星」の住人は自身を笑いものにできたが、この本にそういうユーモアはない。
実は、「ウンコ」という語が書名に入るのは、やはりちくま新書の『ウンコに学べ!』(有田正光・石村多門、2001)があるが、その後、児童書で『うんこドリル』の大ヒットを受けたからか、この『ウンコは・・』のあと、『うんちの行方』(神舘和典・西川清史、新潮新書、2021)が出た。この新潮新書も、人体を離れた糞尿がどうなるかという内容らしい。
私は1970年代あたりから、トイレ関連書はひととおり読んでいる。糞尿処理の日本史の基礎知識はあるから、この新書は取り立てて驚くような内容ではない。トイレに関する外国の本も手に入れて、このアジア雑語林でたびたびトイレのコラムを書いてきたのは、トイレをめぐる文化が興味深いからだ。その点では食文化の研究と並行して出す文化の研究もしてきた。
だから、私がこの本に期待したのは、「世界の糞尿と糞尿の世界」なのである。あるいは、「糞尿と農業の世界史」にも興味がある。この観点は、おにぎりに期待して裏切られたという過去(『おにぎりの文化史』)がある。さて、この新書ではどうか。イングランドにおける人糞肥料の研究論文にも触れているのだから、きっと「世界」を視野に入れているのだろうと思ったのだが・・・。