『ウンコはどこから来て、どこへ行くのか』(湯澤規子、ちくま新書、2020)をめぐって その2
この新書の47ページに、「『下肥』利用が日本だけに限った技術ではなく、イギリスで同様の技術と利用が存在していたことが徐々に知られるようになった」として、三俣延子氏の論文を紹介している。ナイトソイルというのは、英語で下肥のことだ。社会経済史学会の機関誌『社会経済史』(76-2 2010年8月)に掲載された次の論文だ。
「産業革命期イングランドにおけるナイトソイルの環境経済史」(三俣延子)は、実に刺激的で興味深い論文なのだが、湯澤氏は、論文を紹介しても、もしかして読んでいないのではないかという気がしてくる。というのは、下肥、つまり人糞肥料を使うのは日本だけではなくイギリスでも使うという話をこの新書の47ページでしていながら、それ以降のページでは外国の事情に一切触れていないのだ。おにぎりを日本独特かのように書いた『おにぎりの文化史』と同じように、この新書では人糞の利用は日本だけであるかのような記述が最後まで続く。
しかも、だ。
三俣論文の「はじめに 課題と先行研究」に、こうある。
「排泄物を商品として扱い、肥料としてリサイクルしてきた日本とは対照的に、ヨーロッパでは、排泄物は肥料化されることなくゴミとして処分されてきた」というのが従来の説明だった。「1585年に出版されたフロイスの旅行記である通称『あべこべ物語』に記された一文は有名である」とし、その一文を注で紹介している。「われわれは糞尿を取り去る人に金を払う。日本ではそれを買い、米と金を払う」「ヨーロッパでは馬の糞を菜園に投じ、人糞を塵芥捨場に投じる。日本では馬糞を塵芥捨場に、人糞を菜園に投じる」
その結果、「それ以降に来日した複数の外国人によって記録され続けた同様の洞察は、現在でも国内外に広く受容されている」が、それは違う、イギリスでも人糞肥料を使ってきたのだと資料で示したのがこの論文である。「日本人は人糞を肥料にし、西洋人は家畜の糞を肥料にした」という従来の説は誤りであるというのが、この三俣論文の骨格なのだ。
しかし、この論文を紹介している湯澤氏は、実は論文を読んではいないとしか思えないのだ。63ページに、こうある。
「西欧の農業では、家畜の糞尿を肥料に使ってきたため、人糞尿を同様の資源と見なす発想自体がなく」と書き、あのフロイスのあの一文をはじめ、8人の記述を書き出している(出典は「一六世紀後半から一九世紀に日本を訪れた外国人が記述する日本庶民の人糞尿処理」有薗正一郎、愛知大学)。三俣論文で、フロイスに引っかかってはいけませんよと警告しているにもかかわらず、やってしまった。
三俣論文を参考文献のひとつとして執筆された農学者の論文がある。
「農業に於ける下肥(ナイトソイル)の利用」(久馬一剛、「肥料科学」第35号、2013)は、イングランドだけでなく、ほかの世界へも視野を広げている。この論文でも、西洋でも古くから下肥が使われてきたと解説している。
それなのに、この新書の67ページでは、こう書いている。
西洋で人糞尿を肥料に使わないのは、人糞尿に対する「キリスト教社会における人間と自然の関係と日本やアジアにおける人間と自然の関係の違い」にあるなどと説明している。ヨーロッパ対アジアの比較は、あまりに乱暴で、とても学者が書く論理ではない。つまり、日本以外のことに、基礎知識や興味がないのだろう。日本のある事柄を取り上げるとき、西洋との比較で語る人が多い。その時の「西洋の例」というのがお粗末・貧弱なことが少なくないし、「西洋」といっても一様ではない。「アジア」といっても一様ではない。それ以前に「日本VS西洋」という対立だけで、世界が語れるのかという疑問を持たないのもおかしい。
以前書いた考古学研究の話(1549話)を、思い出してほしい。
視野を広くせよ。軽々に「日本独特」という日本特殊論を展開するなという警告だったのだが。
この話の続きを、次回に少し回す。