1558話 本の話 第42回

 

『きょうの肴なに食べよう?』(クォン・ヨソン著、丁海玉訳、KADOKAWA、2020)を読む その5

 

P132・・粉食屋の主人

 チヂミやマンドゥ(蒸しギョウザ)やトッポギ(うるち米のモチ)などを売る店を粉食屋という。著者が愛用している市場の粉食屋は夫婦でやっているのだが、「いつの頃からか夫の姿を見かけなくなった」。妻によれば「夫が就職したのだ」という。著者はただ事実を書いているだけで、解説などしていない。韓国では珍しいことではないからだ。飲食業など「男子一生の仕事」だとは考えていないようで、食べ物屋でカネを稼いで、将来はそのカネで起業するとか、勉強をして公務員になるというのが「立派な人生」だと考えている。職人の仕事を評価しないから、老舗ができない。

P142・・家がある街の大通り沿いの屋台でもスルメをふやかした天ぷらを売っている。しかしそれは普通の可愛らしいイカではなくダイオウイカの足を干してふやかしたものだ

 いくらなんでも、体長6メートル以上にもなるダイオウイカのスルメを屋台で売っているとは思えない。ダイオウイカは市場で流通するほどの量はとれないし、ダイオウイカのスルメを食べた人の話では、「おいしくない」らしい。

 

 韓国の食べ物の話は、今回で終える。翻訳者丁海玉(チョン・ヘオク)は、1960年生まれの在日韓国人2世。韓国語はソウル大学で学んだ。主たる生業は韓国語・日本語の法廷通訳のようで、その体験を書いたのが『法廷通訳人』(丁海玉、角川文庫、2020)だ。韓国人被告の通訳をするのだが、弁護側というわけではなく、法廷では中立であろうとする。

 罪の問われた韓国人が次々に出てくるが、100パーセントのノンフィクションとは思えない。個人情報をあからさまに書くわけにはいかないのだから、ある程度のデフォルメは必要だと思う。そう理解したうえで、読む。この本のキーワードは「犯罪」「法廷」「韓国人」などいろいろあるのだが、もっとも重要なのは「言葉」だろう。異国の韓国人の言葉の話は、韓国人でなくても同じようなものかもしれない。長く日本にいても、ほとんど日本語ができない人。長く日本にいて、法廷では韓国語を使うことを拒否し、通訳も拒否する人。韓国語というものが多少なりともわかる人なら、「ああ、そうか」と納得できる話は、通訳と被告の年齢差のことだ。年齢差によって言葉が変わる韓国語(丁寧語とため口)だと、法廷でどういう表現をするのか問題になるといった話だ。シム・ウンギョン主演の韓国映画の原作になりそうだなあなどと思い描きながら、この文庫を読んだ。

 世間にはあまり知られることのない本だと思うが、佳作である。

 

 2020年12月16日から掲載を始めた「本の話」シリーズは、今回の42回で一応区切りをつける。42回分は、薄い新書くらいの文章量になるから、ちょっと書きすぎたかもしれない。本は毎日読んでいる。司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズは韓国編の2冊を読んだ後、『ニューヨーク散歩』と『モンゴル紀行』を読んだ。桂米朝の本2冊に、後藤新平、そのほか建築の本やブログの資料用に買った本など雑多。私は、おいしいものは後回しにして食べるタチなので、ずっと前に買ってあった『拗ね者足らん 本田靖春 人と作品』(後藤正治講談社)をやっと読み始めた。後藤正治が語る本田靖春だから、おもしろいに決まっている。実は、すでに講談社のPR誌「本」連載時にあらかた読んではいるのだが、改めて400ページの快感にひたる。しかし、本田の旅行記を読んでみたいと思い、『オリエント急行の旅』(潮文庫、1985)を読んだが・・・、これは、つまらん。

 こうやって、本の話はいくらでも続けることができるが、ただだらだらと書くのはひと休みすることにする。ブログの更新もちょっと休んで、文章のことなど考えず、しばし呆然自失してジャズを聴きながら春の到来を待つことにします。

 いつもなら、こんなことを書いてしばらく旅に出るのだが、今春も昨春に続いて、せめて東京散歩の計画でも立てましょうか。