1561話 モノを知らない私です その1

 

 もう5年ほど前のことになるが、あるシンポジウムの会場で、旧知の教授と出会った。

 「おや、久しぶり」と二言三言ことばを交わすと、彼は背後にいる人物の方に右手を向けて、「こちら、今の大学の学部長」と言い、今度は左手を私の方に向けて、学部長を見ながら、「こちら、前川さんと言って・・・」という言葉のあとに数秒の空白があった。その意味はよくわかる。私が大学や研究所の人間なら、その肩書で私を解説できるのだが、そういう肩書のない私をどう説明したらいいのか、言葉につまったのだ。

 「前川さんと言って、・・・・いろんなことをよく知っている人です」と紹介した。苦肉の策か。

 その教授が書いた本を素人である私が勝手に校閲し、感想とともに正誤表を送ったことが何回かあった。私の指摘は言いがかりの罵詈雑言ではなく、事実に即した指摘で、教授はそういう指摘を素直に受け入れる人だから、わだかまりはない。

 ほんのちょっとの立ち話だから訂正はしなかったが、私に対する教授の説明は全く逆だ。私は「いろんなことを、本当によく知らない人間」なのだ。無知蒙昧、底なしのカラッポ頭なのである。中学まではある程度勉強したが、高校以降は完全な落ちこぼれで、高卒レベルの基礎学力はない。理数系に関しては、中卒レベルもないと自信を持って言える。だから、日ごろ、広い興味と知識を持ちたいとは思っているのだが、実際は極めて狭い範囲にしか興味はなく、その知識も当然、きわめて狭く浅い。私は、学力と学識に大いに欠ける男なのである。

 学力とは別に、私と同世代の日本人の男が持っている知識のほとんども、私には欠けている。

 例えば、スポーツ新聞で扱うすべての事柄が私の関心外だから、スポーツ新聞は読解不能だ。スポーツにまったく関心がない。野球も知らない。

 「私、野球のこと、何も知らなくて」と黒柳徹子がテレビでしゃべっていた。トンチンカンナことを言って、友人たちに笑われたというエピソードを話していた。ある元プロ野球選手が「徹子の部屋」のゲストだった時。「初めてマウンドに立ったときの思い出は?」と聞いたら、「『ボク、外野手だからマウンドに立ったことないんです』とおっしゃたのね。私、野球をするところをマウンドというんだと思っていたから」。

 「こんな風に、野球選手とお話しするとあまりに無知で笑われることが多いんだけど、そんな私でも、3回空振りしなくても、三振になるということくらい知っているわよ」というので、「ええ、ホント?」と驚いた。3回空振りしたときだけ「三振」というのだと思っていたからだ。私のスポーツの知識は、新聞を眺めながらテレビニュースのスポーツコーナーをちらっと見て得た程度のものだ。

 苦手なのはスポーツだけではない。囲碁将棋麻雀も競輪競馬パチンコなどバクチの類もすべて知らない。ボードゲームもコンピューターのゲームも知らない。酒を飲まないから、夜の盛り場を飲み歩くこともない。日が暮れたら、さっさと家に帰りたくなるタチだ。

 サラリーマンをやったことがないので、ビジネス用語も知らない。ビジネス用語といってもアメリカでMBA経営学修士)を取った人が得意になって使いたがるようなレベルの用語ではなく、零細・中小企業で働く誰でも知っているようなサラリーマン用語だ。稟議書というものは、テレビドラマで覚えた。「あいみつ」は国会の質疑で知った。しかし、未だに専務と常務の違いがわからないし、「取締役社長」という肩書きをテレビで目にするが、大企業の社長で「取締役」ではない社長がいるのかどうか知らない。「相殺」「総務」「庶務」といったものも、テレビで見て、なんとなくわかったに過ぎない。業種に関係なく、サラリーマンが日常使っている言葉の多くが、たぶん私の知らない専門用語だろう。「御社」「貴社」「NTTさん」という用語の意味はわかるが、使ったことがない。

 自動車運転免許証もスマホも持っていないし、機械全般に疎い。大工仕事もできない。その昔、中学でやらされた「技術科」がすべてダメで、技術も知識もない。「家庭科」ならいい成績がとれたのになあと思った。

 理科系にも芸術分野にも興味も知識もないし、カラオケが嫌いだ。こうやって「知らない分野」を書き出せばきりがない。世の中には、私の知らないことだらけだ。知っていることは、ほんのわずかしかない。私は、正真正銘、疑いのないモノを知らない人間なのである。