1564話 モノを知らない私です その4

 

 自動車や都市交通の話をしたように、まったく興味のない分野でも、あることをきっかけにしばらくその世界に分け入ることがある。

 日本人の外国旅行を、「外国へのあこがれ」という視点で戦後史を振り返ってみると、普段はまったく興味のないファッションが気になったことがある。

 1945年に戦争が終わって、進駐軍がやってきて、日本はたちまち「アメリカ風」が人気を集めた。「気分は、進駐軍」だ。ジャズであり、映画であり、食べ物だ。もちろん、日本全土ではなく東京など大都会と、米軍基地のある街だけのことだが、アメリカ文化が日本を包んだ。ファッションも、アメリカ風が人気となった。既製品などあまりない時代だから、洋裁の腕がある者は、アメリカの雑誌に載っている写真を見て、型紙を作り、雑誌の付録にしたりした。ワシントンハイツなど米軍住宅などから回収された古雑誌が、アメリカ文化の情報源だった。英語ができる者は、小説やエッセイを勝手に翻訳して、日本の雑誌に載せて原稿料を稼いだ。

 かつて、神保町にはそういう雑誌を扱う古書店があり、おもな顧客は編集者やカメラマンやデザイナーたちだった。米軍基地や軍人の住宅から集められた雑誌だから、当然、「PLAYBOY」誌も無修正だった。

 「アメリカのファッション万歳!」の時代に終わりが訪れるのは、1950年代初めで、直接の関係はないのだろうが、日本が進駐軍から独立するころだ。デパートなどでたびたびファッションショーが開催されて、フランスのデザインが話題になるなか、1953年に、文化服装学院創立30周年記念行事として、クリスチャン・ディオールのファッションショーが帝国ホテルなど何か所かで開催された。ディオール自身は来日しなかったが、フランスからモデルが来日した。入場料は最低でも1000円でプレミアがつき4000円くらいの値がついたが大人気だったという。ちなみに、この時代の歌舞伎座の桟敷席は800円だった。「ファッション立国」を企てるフランス政府の後援があったらしい。

 1954年には、三越ディオールサロンが開設され、オードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」が日本で公開された。同年、ヘップバーンの「麗しのサブリナ」で、フランスのデザイナー、ジバンシーが衣装を担当し、ファッションもロケ地もパリというヘップバーン作品が次々に公開され、日本人女性の意識がアメリカから「あこがれのパリ」へと強く印象づけた。1959年には高島屋ピエール・カルダンとライセンス契約を結んだ。こうして、1950年代に、日本人女性の関心はアメリカからフランスやイタリアに引き付けられるようになる。

 ちなみに、ジバンシーが衣装を担当したオードリー・ヘップバーンの出演映画のリストとおもな舞台となった場所を書いておく。

「昼下がりの情事」(1957)パリ

「パリの恋人」(1957)パリ

ティファニーで朝食を」(1961)ニューヨーク

シャレード」(1963)パリ

「おしゃれ泥棒」(1966)パリ

 一方、日本の男たちは、ジャズ、羽の生えたでかい自動車、プレスリー、ロックンロール、ジャームス・ディーン、リーゼント、Gパンの1950年代から60年代のアメリカへ、そして1976年創刊の雑誌「ポパイ」(平凡出版)が作り上げた「アメリカ西海岸ブーム」に乗せられ、アメリカに対する羨望意識が増大されていった。当時の平凡出版は、今のマガジンハウスである。

 そもそも「ポパイ」は、「anan別冊 Men's anan  POPEYE」として誕生し、“Magazine for City Boys”がサブタイトルの雑誌だった。「ポパイ」が売れたので、1981年にその少女版を創刊した。それが、やはりアメリカ西海岸雑誌「Magazine for City Girls  Olive」だったのだが、女の子にアメリカ情報はまったく受け入れられず、82年から「Magazine for Romantic Girls  Olive」となって、ヨーロッパ志向の雑誌になった。

 「anan」「non-no」はもともとヨーロッパ志向の強い雑誌だった。「ポパイ」の前の時代、青少年たちは「平凡パンチ」を読んでいた。その「平凡パンチ」の女性版として企画されたのが、フランスのファッション雑誌「ELLE」の日本語版、「anan ELLE  JAPON」である。1970年のことだ。平凡出版のマネ雑誌を出すのが得意技である集英社は、「anan」創刊の1年後、「ヨーロッパ特派取材」が載っている「non-no」を創刊する。

 日本人女性はすでにヨーロッパを志向していたから、「Olive」でアメリカの方に向かわせようとしても無理だったのだ。

 ファッションについてさらに調べると、パリファッションにフォークロアエスニックの流行があり、ファッションショーの会場で流れる音楽も含めて、「異郷へのあこがれ」が刺激されていくのだから、旅行史研究のテーマにもなる。

 というわけで、フランスにもファッションにもまるで興味がないというのに、調べてみたいことがいくらでも出てきて、しばらくつきあうことになった。私には、こういうことがしばしばおこる。まるで知らない分野だから、短期間だが本腰を入れて調べたくなるのだ。