1565話 モノを知らない私です その5

 

 前回、日本人女性のヨーロッパ志向、とくにパリ志向(趣向)について、過去に調べたことを確認しながら久しぶりにおさらいしてみた。

 日本人の「フランスかぶれ」ではなく、「パリかぶれ」が問題なのだと指摘した本がある。日本人女性の「パリかぶれ」の結果発症する精神的な病を論じたのは、パリ日本大使館勤務の医師が書いた『パリ症候群』(太田博昭)だ。これはカルチャーショック本の傑作である。憧れの地はフランス全土ではなく、パリ限定だという分析だ。パリにあこがれ、フランスの本を読み、フランス語を学んでパリにやってくると、現実のパリは夢に描いた「花のパリ」とあまりにも違い、精神的に不安的になっていき、病を発症するというのだ。

 通常の異文化ショックというのは、言葉が通じない土地で孤独な生活をしているうちに、精神の安定が失われるのだが、「パリ症候群」というのは、ある程度はフランス語ができる人が患者になる。患者の多くが女性という特徴もある。そういう病は、ロンドンでもニューヨークでもなく、そしてフランスのほかの都市でもなく、パリなのだという論文だ。パリは、ほかの街とは違う、特別な街だという日本人女性たちの話だ。

 「パリかぶれ」の本はそれしか読んだことがないので、「フランスかぶれ」の本はないかとネット検索してみたら、なんとそのものずばりの本が見つかった。『「フランスかぶれ」の誕生 〔「明星」の時代 1900-1927〕』(山田登世子)は、その書名どおり、大正時代あたりに焦点を絞っている。リンクでアマゾンの画面を見れば、その目次から雑誌「明星」でフランスにあこがれた人々のことがわかる。私の興味からは、狭いし古い。ちゃんとした本のようだが、私の興味の範囲で言えば、今読む本ではないだろう。 

 その点、こちらはおもしろそうだ。『“フランスかぶれ"ニッポン』(橘木俊詔)は、守備範囲も広く、戦後にまで言及しているようなので、読みたくなった。フランスとインドはかぶれやすい土地なのかもしれないなどと思った。アマゾンの画面で、この本の内容と著者の情報がつかめるので、ここで多くの説明はしない。

 こんなことを書いているうちに、注文しておいた『“フランスかぶれ”ニッポン』(橘木俊詔 たちばなき・としあき)がたちまち届いた。著者は1943年生まれの経済学者でアメリカとフランスで長期滞在経験がある。「フランスかぶれ」は著者の自称でもあり、「何を隠そう、フランスかぶれの筆者のフランス論」がこの本だと「はじめに」で書いている。

 読みかけの本を脇に置き、すぐさま『“フランスかぶれ”ニッポン』を読んだ。不満は大いにあり、そのことはいずれ書くが、ひとまずはその発想と努力を認めたいと思う。この本は、経済学者が自分の専門を離れて、フランスと日本を幅広くさらってみようというものだ。「経済学者だから、経済のことしかわかりません」などという専門バカ宣言はしない。私が理想とする「できる限り広く」という試みは成功しているのだが、そうなれば、ジグソーパズルのピースがいくつも行方不明になる。専門領域を守り、108ピースのパズルをやれば簡単に完成度の高い本が書けるのに、無謀にも手を広げて2000ピースのゲームに挑んだようなものだ。

 この本の欠点は、ふたつある。ひとつは、著者はフランスの勉強が楽しくて、原稿を書いているうちに、ついついフランス概論の勉強ノートのようになってしまった。専門ゆえに筆が進んでしまったのだろうが、フランスの経済学の話になるとブレーキがかからない。「ケネーの重商主義」だの「ワルラス一般均衡理論」などという小見出しで、フランス人の研究紹介が長々と続く。フランスの学者の研究が、日本の学者に影響を与えたとしても、それだけで「フランスかぶれ」の説明にはならない。これでは、一般読者はもちろん、普通の「フランスかぶれ」でも、興味深く読み進める気が失せるに違いない。

 「フランスかぶれ」を語るのに必要な、「日本におけるフランス文化受容史」の部分があまりにも少ないのだ。『フランスを知るための50章』のような本になってしまった。

長くなりそうなので、もうひとつの欠点の話は、次回に。