1566話 モノを知らない私です その6

 

 欠点のもうひとつは、著者がアメリカやフランスで研究生活をした大学教授だから、音楽や映画や出版の話になると、粗が目立つ。ライターである私の目からは、書かなかった穴は大きく見える。フランス音楽と日本人を語るなら、丸山明宏(現・美輪明宏)をはじめとするシャンソン歌手の存在は長いページにわたって書かれるべきだ。石井好子シャンソン歌手ということのほか、1950年代のパリ在住日本人や日本人旅行者の世話役的立場だったことや、テレビ出演や出版での活躍など特筆するべき存在だろう。私のこのブログでも、石井好子のことは235話以降何回かわたって書いているので、興味がある人はちょっと深入りしてください。

 フランスの素人である私でもこの程度のことは書くのだから、真っ向から「フランスかぶれ」を取り上げるなら、石井好子を高く評価しなければいけない。店で言えば、銀巴里やキャンティにも触れたほうがいいだろう。

 出版で言えば、翻訳家の朝吹登水子と娘の由紀子の名がまったく出てこないのは変だし、このふたりを紹介するなら、サガンボーボワールの著作は日本の「フランスかぶれ」諸嬢との関連で重要人物だろう。『開高健のパリ』が出版されたばかりだが、開高健を読んでいれば、彼はかなりの「フランスかぶれ」だったとわかる。

 映画の話なら、東和商事(現・東宝東和)を設立し、「自由を我らに」(1931)、「巴里祭」(1932)、「望郷」(1937)などを輸入した川喜多長政の存在に、この本ではまったく触れていないことにも不満だ。川喜多の長女、川喜多和子が副社長を務めたフランス映画社のことも触れておく必要があるだろう。

 東京以外の人にはなじみがないだろうが、1931年創立のアテネ・フランセに関しても、数ページの記述があってしかるべきだろう。フランス語教育だけでなく、フランス映画の上映や、講演会などを開催してきた。

 音楽の話で、コンセルバトワール(フランス国立音楽学校)を卒業した日本人を取り上げているが、いずれもクラシック界の人物だけで、服部克久・隆之父子や加古隆の名はない。音楽と言えば、いわゆるフレンチポップに関してはアダモの名があるだけだ。シルビーバルタンの歌や、彼女やアラン・ドロンが出演したテレビCMの話も出てこない。

 つまり、大学教授レベルの学術的フランス志向に深く触れても、日本に多くいる「フランスかぶれ」への言及はない。バブル時期に、パリで高価な商品を買いあさるブランド愛好諸嬢たちの好みや、料理もブランド品もフランスからイタリアに移っていくような話題も、この本にはない。「フランスかぶれ」どころか、フランスにまったく興味のない私でも、「日本人の異文化憧憬」というテーマを頭に描くと、見えてくるものはいくらでもある。素人に欠点を簡単に指摘されるような内容では、世の「フランスかぶれ」を満足させるような本にはとうていならない。

 『“フランスかぶれ”ニッポン』は、このように欠点が数多くあるのだが、それでもこういう本が出ただけでも良しとしようか。

 ただし、デジタルでは実に興味深い情報があるので紹介しておきたい。日本とフランスの国立図書館が共同で、共同電子展示会なるものを立ち上げて「近代日本とフランス」展を作り上げた。コラムもおもしろいが、なんといっても「年表」がおもしろい。この年表に肉付けをしていけば、私でも楽しめる「フランスかぶれ」物語になるだろう。

 もし、今、雑誌「旅行人」があれば、誰かが連載で「インドかぶれ 日印交流史」を書いたら、中高年のインドファンは喜ぶだろう。「かぶれ」の研究は、おもしろいのだ。

 今回で、「モノを知らない私です」の話は終わる。