1568話 カラスの十代 その1

 

 前々回の「モノを知らない私です」で、高校時代の落ちこぼれぶりに触れたら、突然、カラスに囲まれた日のことを思い出した。

 私は中学3年生だった。

 そのときのカラスとは、学生服姿の集団だった。私立男子校を受験したその日、試験会場も、廊下も階段も、黒い服を着た若者だらけで、いままで体験したことのない異様な光景だった。合格するために受験しているというのに、この高校には絶対に行きたくないと思った。

 中学までは、そこそこ成績優秀な生徒だった。「そこそこ」の意味は、上の下か、中の上という程度で、「まあまあ」と言い換えてもいい。トップクラスに入れなかった原因は、算数にあった。

 今でもよく覚えているのだが、小学校2年生の時だった。算数ができなかった。計算ができないというのではなく、そもそも算数に取り組む気がまったくないのだ。数字を目にするだけで、逃げ出したくなるのだ。授業中にあまりに算数ができないので(やる気がないので)、「放課後、残って自習しなさい」と教師に叱られたのだが、その時の気持ちをことばにすれば、「算数なんか、バカらしいこと、やってられるか、こんなもん!」だから、さっさと下校した。悪いことに、担任教師は我が家からそれほど離れていない場所に住んでいて、我が家の前を通って帰宅するのだ。教師の言いつけを守らなかったということが、よほど腹に据えかねたのだろう、もう暗くなった夕刻、教師は我が家に立ち寄り、母に事情を話した。その光景も、よく覚えている。

 母が烈火のごとく怒ったという記憶はないが、忙しい中、家庭教師となって、バカ息子に算数を教え始めた。私は、注射も苦い薬も夜中のトイレも平気だったが、算数の教科書を広げて座っていることだけで苦痛だった。世の中に、算数ほど嫌いなものはないと思った。

 数字が苦手というのは、今でも続いている。英語のニュースで、「1965年の2385トンの生産が1970年になると・・・・」というように数字が多く出てくると、とたんに「聞く耳」を持たなくなる。脳が空白になるといえばいいのか、とにかく数字を拒否するのだ。これはタイ語でも同様で、話に数字が出てくると、途端にアホになる。タイには算用数字のほかに、タイ文字の数字があるのだが、何度覚えようとしても、すぐに忘れる。

 話は戻って、小学生の私だ。

小学校3年生で、奈良の山奥から首都圏に引っ越した。山里の村立小学校と比べれば、首都圏の小学校のレベルは追い付けないほど高いのだろうと覚悟していたのだが、3年生で学ぶことになる算数は、山里ですでにやったことばかりだった。だから、私はたちまちダントツの成績優秀者になった。のちにわかるのだが、その山里には若者が働ける仕事などほとんどないから、里を出て立派に働けるようにという意図で、教育に非常に熱心だった。子供だけでなく、成人教室などの活動も盛んだった。そのせいか、私が入学した村立小学校の卒業生は、大卒者がけっこう多いらしい。教育が身を立てるという村の教えである。

 村の普通の小学生だった私は、首都圏の学校では抜きん出て優秀だった。しかし、そんなアドバンテッジなど、たちまち追いつかれて、最優秀の小学生はすぐさまそこそこに優秀な小学生になり、そこそこに優秀な中学生になった。