1569話 カラスの十代 その2

 

 中学生になり、算数が数学と名前が変わったが、だからといって心を入れ替えて勉学に励んだということはない。数学の授業が始まると、記憶回路の入り口にシャッターが下りて、「入室禁止」になってしまう。1年生、2年生と、そうやって生きてきたのだが、3年生になって事情が変わった。赴任してきた老数学教師は、かんしゃく持ちで粘着質、何かが気に食わないと、突然狂気となって怒鳴り出すのはヤクザのようだった。野球で言えば千本ノックのように、徹底的に個人攻撃をする。授業中にも大声で怒鳴り始めるから、近くの教室ではあまりにうるさくて、授業不能になると教師が嘆いていた。

 数学の出来が悪い私は標的になった。全教科ができない生徒は無視されたが、「できる教科」がある私は、怠け者と思われた(まあ、事実そうなのだが)。怒鳴りまくる数学教師の拷問から逃れるために、登校を拒否するという手段にはでなかったが、毎日がユーウツでノイロゼ気味になってきた。そこでとった私の態度は、今思い出しても恥ずかしく、自己嫌悪に陥るのだ。自分が、数学教師の標的にならないようにするために、こちらから教師に近づいた。放課後にその教師の姿を見かけると、たいして疑問に思ってもいない事柄を、「先生!」と近づき質問した。権力にぺこぺこして近づくゴマすり野郎である。精神を安定させて毎日登校するには、これ以外の方法を思いつかなかったのだ。中学時代の恥ずかしくも憂鬱な思い出である。だから、中学時代の私が大嫌いだ。同級生たちも、きっと「教師に気に入られようとゴマをする嫌なヤツだ」と思っていたに違いない。

 中学3年生になり、進学先を決めなければならなくなった。私は、高校に行ってまで数学に苦しめられるのは嫌だから、「高校へは行かない」と言った。それが、いわば私の第1志望だった。中学生になったときから神田神保町に通い、古本漁りをしていたから、このままそういう生活が続けられたらいいなあという思いで、「研究生活を始めたい」と思った。想像で言うのだが、神保町に通うような少年は、文学青年予備軍で、日本や世界の文学を読み漁っているか、あるいは昆虫とか天体とか岩石とか、特定分野のマニアのような少年のような気がするが、私はそういう少年ではなかった。カネがないから、古本屋の店頭ワゴンを漁り、新書と小説ではない文庫を買い集めた。そういう関心がのちに文化人類学社会学、海外旅行史やジャーナリズムへとまとまりを見せ、今日に至るのだ。だから、「研究」といっても、特定の分野が見えていたわけではない。毎日本を読んでいるのが「研究」だと思っていたフシがある。

 中学生のバカ頭では、生活のことはまるで考えていなかった。ふた月に1回くらい神保町で古本屋を巡り、毎日好きな本を読んでいられればそれでいいとしか考えていないから、生活費をどう稼ぐということは眼中にも脳中にもなかった。しょっちゅう神保町には行きたいのだから、引きこもりではないが、ずっとゲームをやっているガキとあまり変わらない志向だったのかもしれない。

 「中学を卒業したら、働きます」といえば、親は、「高校くらいは行きなさい」と言うだろうが、やりたいことを説明すれば、子供の自主性を重んじる親だから、「それなら、好きにしなさい」と言っただろう。しかし、私には、宮大工になるとか陶芸家になるというように、高校には行かないが、その代わりにやりたい明確な目標があったわけではないし、高校へは行けない金銭的事情があったわけではない。

 要するに、もうこれ以上数学とつきあいたくなかったのだ。数学に、つきまとわれたくなかったのだ。