1580話 カラスの十代 その13

 

 密航事件から数か月たち、成績不良の私でもなんとか高校を卒業することができた。温情の数学教師は、「サイコロを振って3が出る確率を求めよ」という問題で、30点くらいの配点をしてくれて、さぼり抜いた生徒たちも、これでなんとか卒業できることになった。

 卒業式には、受験などでそれまでバラバラの生活になっていた級友たちが久しぶりにそろった。

 「おう、しばらく」と声をかけた男とは、夏に都内英会話散歩をやったことがある。ヤツは英語が好きで得意で、外国人と話をしたくてたまらない。そこで、街で西洋人を見かけたら、英語で話しかけ、しばらく会話を楽しむというのだ。私も1度同行したことがあった。ヒマな米軍人(米軍新聞「スターズ&ストライプス」紙での面談時刻までのヒマつぶし)と赤坂見附の喫茶店で雑談。そのあと、イギリス人ビジネスマン(飛行機の出発まで時間をつぶし)と、銀座の喫茶店でしばらく話をした。そのときは、特に何も感じることなく、ただ雑談をしていたのだが、後になって相手の配慮がよくわかった。わかりやすい話題を、わかりやすい英語で、わかりやすく発音してくれたから私にも理解できたのだ。

 のちに、日本在住の西洋人の知人と話をしていて、「喫茶店でも路上でも、しょっちゅう英会話の相手をさせられるのが苦痛でね」とうんざりした顔でしゃべった。「あなたの名前は?」「何歳ですか?」なんていう質問をしょっちゅうされるから、日本人には日本語しかしゃべらないのだと言った。わたしは自分の過去を思い出し、申し訳ないと思った。高校時代の私は、もう少し内容のある会話ができたとは思うが、会話のテンポを崩さずにしゃべることに夢中で、相手のことを考えた会話ではなかった。のちに、私も旅先で子供たちから英会話の相手をやらされたことがあるが、あれは退屈で疲れる。

 あれも3年の夏だったか、月曜の朝の教室で、ヤツはニコニコしながら話しかけてきた。「きのう、旅行中のアメリカの女の子をナンパしたぞ。大成功だ。今度の日曜日にまた会うから、紹介してやるよ」。自分の感激を、誰かに話したくてたまらないらしい。

 ヤツと私は、日曜日の新宿旭町のドヤ街に行き、旅館でヤツ自慢の「金髪の彼女」に会った。その宿は、もともとは労務者用の安宿なのだが、西洋人旅行者が口コミで広め、宿泊客はすべて西洋人だった。日本にゲストハウスなどができるずーっと前のことだ。のちに、バンコクのタイソングリートや楽宮旅社など、ただの安宿であり売春宿だったところに外国人旅行者が集まってしまったという状況に接して、あの旭町の安宿を思い出した。

 旭町のその安宿で、ヤツは「居残り佐平治」となって、器用に宿の仕事をこなしていた。なにしろ、突然外国人がやって来たのだが、英語がわかる従業員がいない。そこで、ヤツが日本語と英語のカードや張り紙を書き、その代わり、宿の出入りは黙認するという約束ができていた。私も、通訳のまね事をやった。高校時代に外国人と話をする機会が何度もあったからか、のちに国内外で、外国人に話しかけられても、「あわあわ、あー」とあわてることはなく、知っている限りの中学英語で対応できた。

 高校3年生の夏は、そういう遊びをしていた。そして、卒業式で、久しぶりにヤツに会い、「おう、しばらく」というあいさつになったのである。

 「ホントは、今日、来たくなかったんだ。仕事を休んで来たんだから」というので、「なんの仕事?」と聞くと、建設工事だといった。その前にゴルフ場でアルバイトをしていて、建設会社の社長と知り合い、「うちの方が給料は多いぞ」という言葉で転職したのだという。

 「カネを稼がなきゃ。旅行資金を作らなきゃ」という決意がもくもくと姿を見せた。外国への旅を、そろそろ真剣に考えよう。「オレも、そこで働けるかな?」というと、「たぶん大丈夫だと思うが、とにかく、明日朝早く駅に来いよ。社長を紹介するから」という。よし、建設作業員だ。稼ぐぞ! 外国へ、ほんの一歩踏み出した。