1582話 カラスの十代 その15

 

 建築作業員をしていたある日の朝のこと、現場が遠いうえに、現場で使う物を建材店で買ってから行くために、7時に事務所に集まった。2トントラックの助手席に座り、運転をする職人を待った。そのとき、車窓の脇を歩いてきたのが、高校の1年先輩で、何度か話をしたことのある女性だった。ふんわかした雰囲気の人で、誰からも好かれるタイプの人だ。顔見知りだが、窓ガラスを開けて挨拶をするのはやめた。彼女の隣りを歩いているのは、やはり高校の上級生で、ひとことふたこと話をしたことがある人だ。友人が「あの人は中央大学法学部に進み、弁護士になる人だ」と言っていたのを思い出した。生徒会長と副会長のようなそのふたりが、朝の7時をちょっと過ぎた時刻に、路地を歩いている。私は助手席で背を低くし、彼らの視界に入らないようにした。夜の街で見かけたのなら、「ああ、デートか」と思うだけだが、早朝というのがなんともなまめかしかった。

 この話を書いていて、別の遭遇も思い出した。ある日の工事現場は住宅の庭工事だったのだが、家から出てきたのは高校の同級生だということがあった。手を挙げながら、「おう!」と挨拶すると、作業着姿で、髪とヒゲを伸ばし、度付きサングラスをかけ、地下足袋に鉢巻姿に変貌している元高校生を見て、数秒の間をおいて私だと気がつき、ヤツも「おう」と応えたものの、やはり少々驚いたようだ。それ以上に善良なる息子がこの労務者とタメ口でしゃべっていることに母親はもっと驚いたようだ。

 その級友とはずっとのちに、ライターと編集者として再会する。雑誌「本の雑誌」の投稿欄にヤツの名前があり、私も投稿していたことがあるので、どちらからか連絡したのかもしれないが、確かな記憶はない。ハガキのやり取りがあって、電話をして、再会した。ヤツは食品関連の専門出版社の編集者で、その編集室で雑談をした。私は食文化に興味のあるライターになっていたが、まだ本は書いていない。高校を卒業してから、15年ほどたっていた。

 昔のよしみで、ちょっとした稼ぎになるルポの仕事をくれたのだが、打ち合わせをした翌日、父が急に手術をすることになり、その後ホスピスへの移送と言うことになり、せっかくの好意を断ることになってしまった。その雑誌の仕事は、まだ若い知り合いのライターに代役をつとめてもらうことにした。その若者は、のちに私が講師をすることになる立教大学で観光を学び、在学中に旅行雑誌「オデッセイ」に出入りしていた。卒業後就職せずにライターになった。まじめが取り柄だが、本当に自分が書きたいものがなにか見つけられずにいた。「生活費を稼ぐのは大事で、ライターをやっていればどんな仕事ものちのち勉強になるものだけど、しかし、どんな仕事も適当にこなす器用なライターにはならないようにね」と、エラソーにおせっかいを言ったことがある。若きライターに、私の仕事2本の代役をしてもらったのだが、のちにどちらの雑誌編集部からも、「原稿の手直しに手間がかかってね。彼には、まだちょっと無理だったようだね」と苦情を言われてしまった。編集部が求める最低限の水準に、「器用にこなすだけ」の水準にも、まだ達していなかったようだ。

 若きライターは数年後、ロヒンギャ問題を自分のテーマに決めた。当時はまだビルマを自由に取材できる時代ではなかったから、バングラデシュをフィールドに決めた。しかし、そのバングラデシュで取材中マラリアのため突然死んだ。コックスバザールから夜行列車で首都ダッカに戻ったところで体調が急変し、帰国便に乗る体力はもうなく、その日の午後に死んだそうだ。そんなことを、思い出した。

 高校時代の知り合いだったあの編集者の恩は、まだ返していない。