1584話 カラスの十代 その17

 

 高校時代にあれやこれやと英語にまつわる話をしていた友人が何人かいる。皆、いつかは外国に行ってみたいと思っていた連中だが、考えてみればESS(English Speaking Society)のようなうさん臭そうな組織と関係のある者はひとりもいなかった。この「うさん臭い」感じは、わかるかなあ。アメリカ万歳、互いを「Hey,Betty!」「Hi,John」などと呼び合い英語劇などをやる恥ずかしい集団だと、私は認識していた。

 それは、さておき・・・。

 級友のひとりは、本格的に保守本流の勉学にひたすら励む優等生で、東京外国語大学で英語を学び、エリートサラリーマンになった。ひとりは、「英語はある程度できるから、もういいよ」というわけで、大学ではスペイン語を専攻し、スペインに留学したという話を、ずっと後になって知った。その年に、私もスペインなどヨーロッパで遊んでいたのだが、そこに彼もいたことなど、もちろん知らない。ちなみに、その年、私のようにヨーロッパで遊んでいた日本人のなかに沢木耕太郎がいて、パリにはかの山口文憲がいたということを知るのは、ずっと後になってからだ。昔も今も、もちろん彼らと交友関係にはない。

 スペインに留学した友人は、大学卒業後南米で暮らし、そのあとパリで暮らした。私はと言えば、旅行資金稼ぎに忙しく、外国語の勉強よりもカネ儲けに励んでいた。だからと言うわけではないが、その後も高校時代の英語力レベルを超えることはなく現在に至る。時間があれば世界の地理や政治やその他雑多な情報を得る道を探りながら旅を続けていた。旅をしながら同時に旅行資金も稼げるような都合のいい方法はないだろうかと探しているうちに、なし崩し的にライターになった。こうして、私は職業的観察者となった。

 私を建設現場に連れて行ってくれた男は、工事現場から去ってから1年くらいして、アメリカに行った。ヤツと共通の友人から、ヤツがアメリカから帰国したという報告があり、会った。短期の英語留学をしたあと、アメリカで働き、旅をしていたという。

 「本当は長期留学をしたかったが、そのためにはアメリカ人の保証人が必要だが、伝手がない。だから、羽田に行って、アメリカ便から降りてきた客に声をかけて、『留学したい』と訴えたんだけど、ダメだった」

 のちに知り合った人のことだが、同じころ、インドに行きたいがインド旅行情報など何もない時代だから、羽田空港に行って、「いかにも、インド帰り」という感じの人を探し、インドのことを聞き出したのだといった。ガイドブックがなかった時代、そうやって旅行の情報を探した人もいた。

 アメリカ帰りのヤツと、アメリカの話はほとんどしなかった。私はアメリカにはまったく関心がなかったからだ。そのとき話したことで、今でも覚えているのは仕事のことだ。渡航費用の半分は自費、あとの半分は親からの借金だったが、アメリカで働いたので、借金は帰国してすぐに返済したという。「誰でもできる単純作業の時給は、最低でも1ドル」というのは覚えている。まだ1ドルが360円の時代で、その当時日本で誰でもできる単純作業の時給は百数十円だったから、3倍の賃金差がある。アメリカで2か月働いたら、日本で半年分の稼ぎになる。だから、帰国早々、ヤツは借金を返済できたというのだ。そのカネで中南米にでも旅を続けるなどと考えずに、カネを持って帰国したことに、ちょっと拍子抜けした。世間の常識からはでたらめにも見えるような人生を歩むかもしれないと思っていたからだ。

 ヤツは道をそれず、まじめな大学生になり、有名住宅メーカーに就職した。「家、買わないか? 100万くらいは今すぐ割り引いてやるぞ」という電話がかかってきたことがある。会社員となり、バブルの日々に酒浸りの営業活動を重ね、内臓を破壊されて、人工透析が日常になったが、ヤツは笑っていた。企業には、一定の枠で障害者を雇用しないといけない決まりがあり、その枠にヤツが入ったので、退職の心配はない。「会社に行って、新聞を読んでいるだけで給料がもらえる。さすが、大企業だろ」と自慢した。私が同じ立場になったら、たちまち生活できなくなる。

 ヤツは定年後に脳梗塞をやり、よれよれの日々を送っているものの、電話ではあいかわらずヘラヘラと笑っている。「自伝を書くぞ!」と言うから、「自費出版の会社を紹介しようか」と言ったら、「ちゃんとした会社から出版して、印税で稼ぐさ」などと、まだ夢を見ている。

 そういえば、卒業後まもなく、同級生数人と一度だけ担任と会った。思い出話のなかに、その場にはいないヤツの話になった。担任の思い出話だ。

 「アイツの母親が、相談に来たんだよ。先生、あの子の服に金髪がついていて、何と言えばいいのか、どういう態度をとればいいのか、困っているんですが・・・と言うんだが、こっちだってどう指導したらいいのかわからなくて・・・」

 あの金髪の彼女とは数か月の交際ののち、あやふやな記憶だが、彼女は高級クラブのホステスになり、大いに稼ぐようになり、貧乏高校生は捨てられた・・・・という顛末だったのではなかったか・・・。この記憶に、まったく自信がないが、ヤツが捨てられたのは間違いないと思う。