1586話 カラスの十代 その19

 

 高校時代のことを、こんなに長く書く気はなかった。落ち着いて考えてみれば、半世紀も前の話なのに、古ぼけた昔話には思えないところが、ああ、恐ろしい。

 今年の4月の中旬ころだったか、音楽を聴いたり本を読んだりと、いつもの退屈しのぎをしていたら、何の脈絡もなく、何のきざしもなく、突然、50年前の私立男子高校の入学試験の当日の光景がよみがえった。試験を終えた生徒が教室を出てきて、廊下に集まり、階段を下りていく光景は、「カラスの群れに囲まれた小鳩」というのは、まあ、ほんの少しばかり違うにしても、異質、異世界に紛れ込んでおどおどしていたという記憶があり、あの日のことを書こうと考えて1回分を書いたら、もう少し書かないと読者にわかりにくいかと思い、加筆していくうちに2回分になり、そのうちにだんだん中高校生時代のことを思い出し、文章がこんなに長くなってしまった。

 修学旅行の話も、3年生の時だったと思って文章を書いているうちに、「あれは、2年生だったはず」と思い出し、すると、1年生の時に東北地方を旅し、旅費不足で青函連絡船に乗れなくて悔しかったねぶたの夜を思い出し、2年生の時は修学旅行前に、当時父が仕事をしていた大阪に行き(父の仕事になにひとつ関心を示さないバカ息子だったことに、申し訳なさにあふれる)、ついでに奈良にも行った。3年生には万博見物で大阪に行ったことを思い出した。思い出は次々と湧き出して来る。

 私に創作力、あるいは、うまくウソをつく力があれば、花の学園青春小説やヘルマン・ヘッセもどきの少年の苦悩小説などにすることもできただろうが、根っからのノンフィクション人間は、あのころの出来事をそのまま書くしかなかった。「そのまま」だと思っていても記憶違いはきっとあるだろうが、意識的に過去を創作したことはない。ちなみに、なぜ今、ヘルマン・ヘッセの名が出てきたかと言うと、「ドイツにおける若者の旅の歴史」をちょっと調べているからだ。

 あの時代、ごく一部の高校では大学紛争の影響を受けて、学内闘争を始めたところもあったが、私が在籍していた高校では、紛争らしい紛争はなかった。わずかにあったと言えば、「制服制帽」の規則から帽子着用の規則を廃止させたくらいだろうか。校長が、「昔からそういう規則になっている。制服制帽はセットだ。帽子は頭を守るなど素晴らしい効果があるのだから着用は当然だ!」などと得意になって論じるから、我ら悪ガキは、「それなら先生方も制服制帽をぜひ!」というと校長は反論できず、教師の意見も生徒と同じで(多分、体育教師は校長側だったとは思うが・・)、高校から帽子が消えた。

 そんなことを書いていたら、思い出がまた湧き出して来る。高校3年生のときに赴任してきたこの校長は、話し方は柔和だが保守反動徹底管理思想で、教訓講話が大好きで、生徒の評判が極めて悪かった。校内大抗議大会を開催するほどではないが、なんとかこの校長を笑いものにするとか、恥をかかせるとか、腹いせをしたいという感情は多くの生徒にあった。

 暮れになって、担任が言った。「卒業式にぜひ来てほしい来賓がいるなら、名前をあげろ」と言うから、私は反射的に「前の校長!」といい、瞬時にして同級生の賛意を得た。この提案はすぐさまほかのクラスにも伝わり、卒業生の要望として、「前校長の出席をぜひ」と言うことになった。前校長が広く深く生徒から慕われていたわけではない。特に心に残るプラス面はないが、マイナス面はまったくなかった。だから、マイナス面しかない現校長への面当てに、前校長を卒業式に招待したのだ。「お前の話なんか聞きたくないから、前の校長に話をさせろ」という一種の抗議行動だった。

 卒業式当日、演壇の前校長は、「きょう、なぜ、私がここに招かれたのかわからないのですが・・・」と話し出したのだが、それはそうだろう。生徒の多くは、もちろん「なぜか」は、わかっているが、教員たちはわかっていたのだろうか。「なぜ、前校長を?」と生徒にまったく質問しなかったのだから、きっと教師たちも生徒の心情をわかっていたのだろう。