1587話 カラスの十代 その20

 

 このように文章を書いていと、次々と思い出がまた湧き出し、文章が長くなってしまう。前回の文章を書き始めたときは、校長のことなどすっかり忘れていたのに、「そういえば、卒業式で・・」と思い出して、加筆した。こうして、とどめなく文章が長くなる。

 東京圏や大阪圏を除けば、どこの県でも同じだと思うが、県内の公立進学校は、地元の公務員養成所が歴史的役割りだろう。卒業生は、県内の自治体の職員や医師や教員、警察や消防、公務員の天下り先となる各種団体などの職員となって、出世すれば地元の名士グループに加わっていく。首都圏や京阪神地域を除けば、地元に大卒者を受け入れる大企業の求人は多くはない。大学卒業後も地元で暮らしたいと思えば、公務員以外では、地元の金融機関などの経済界や新聞社やテレビ局などのマスコミなどだ。県内の高校から地元の国立大学へと進んだ卒業生たちが、そういうグループを牛耳っている。

 私が通った首都圏の高校では、東京の大企業への就職も可能なのだが、卒業生はやはり公務員・準公務員、団体職員などが多いらしい。教員になった者も多いらしい。

 時代が10年ほどずれたら、校舎の窓ガラスを割り、バイクを盗んで得意がる生徒も出てきただろうが、まだ平穏な時代だった。のちに中学教師となった級友は、警察からの電話は日常茶飯で、24時間いつでも身元引受けに行けるように、自動車を買ったと言っていた。教師になった同級生が30歳を迎えたころ、校内暴力の波に飲み込まれていくことになる。大学卒業後、猛烈サラリーマンとなった新入社員は、連日の激務で体を壊し入院することになり、病室で「こういう人生を定年まで送るのはむなしい」と考えて会社を辞めた。大学に戻り、教員資格を取り、「新しい自分だ」と喜び勇んで中学に赴任したら、「学校の窓ガラスが、ほとんどなかったんだよ。噂には聞いていたけど、すさまじい荒れ方だった」といった話を、同窓会で聞いた。

 こうして文章を書いていると、またしても思い出がいろいろ蘇ってくる。高校3年の6月だったか、老英語教師のアメリカ旅行と入れ替わるように、アメリカ留学から帰国した生徒がいた。アメリカの国際教育団体AFS(American Field Service)のアレンジで留学した上級生で、1年後に我々の学年に復学した。アメリカのことはともかく、異文化体験を聞きたいとは思ったが、別のクラスだったので言い出せず、結局ひとことも言葉を交わさなかった。卒業後の消息も知らない。この生徒の2年後にAFSでアメリカに行った高校生の中に、竹内まりあと小西克哉がいた。

 あの女の人のことも思い出す。同じクラスになったことはないが、友人と親しいので、ときどき雑談をした人がいた。冗談が好きで、寸鉄人を刺す皮肉もいい、やや下ネタじみたことも口にして高笑いをする。会話が楽しい人だったが、彼女と同じクラスのヤツにその話をすると、教室内で彼女が誰かと話している姿を見たことがないという。誰ともしゃべらず、ずっと黙っているというから、私の話に「ウソだろ」といった。こういう風に状況によって別人格になっている生徒が何人もいただろう。学校では誰ともしゃべらず、深夜放送にせっせとハガキを書き続けている生徒も、きっと少なからずいただろう。実直な受験生のふりをしながら、熱烈なロック少年だった高校生は、今はCDのBOXセットを買い込んでいることだろう。家庭と学校のふたつの顔やクラスとクラブのふたつの顔を持つ生徒もいただろう。

 当然ながら、皆それぞれに、他人に知られることのない自分の高校時代を過ごしていたのだろう。

 「そういえば・・・」と思い出すことがいくらでもあるが、きりがないので、別の機会にしよう。

 高校時代の話は今回で最終回となる予定だったが、おまけの話を書いたので、次回が最終回になる。